イスラム国

 

 イスラム国のテロリストにやられて、日本人が2人もはっきり殺されてしまった件で、いろんな人らがいろんな感想を述べておられますね。

最初にひとつ言っておかないといけない、みんなが表明しておかないといけないのは、

「イスラム国、なんじゃおまえら!」

ってこと。

なんだか誰もあんまり、「イスラム国、腹立つ!」って言ってないような気がするんです。
まず基本的に、人殺し集団なんですから、その残虐性・短絡性に、怒りって湧いてきませんか。
特に、日本人を殺されたことについて、日本人として。
イスラム国に、腹が立つ。これが当たり前だと思うんです。

国際感覚として「日本人がどうこうではなく、人間が、人類が」とおっしゃる、ジャーナリストなり世界で活躍されている方がおられますが、まず、日本人が殺された!?わしと同じ日本の人が!?という反応をするのは日本人なんですから当たり前で、けっこう前に「乗客に日本人は いませんでした いませんでした」と伝えるニュースキャスターを揶揄するような歌がヒットしたりもしましたが、なに言ってんだおまえら、と。

なんだか冷静で沈着な、

「暴力がこの世からなくなるよう努力しなければならない」
「紛争地での根本的な解決に向けて…」
「人類がこの暴力に立ち向かうためには…」

とか、いきなり宇宙規模の神様みたいなコメントばっかりで、すごいなあんたら、感情のコントロールというか、そんなにいきなり全世界的で恒久的な平和へシフトするべくしてモノ考えられるのかー!と感心するというか、呆れます。嘘つくなと。ええかっこすんな、と。

メディアが組織として、また百戦錬磨のジャーナリストが職責として、冷静な言葉遣いで事実を語っているのは、別かもしれませんが。

あんなショッキングな映像を見せられて、

「なんじゃこいつら!」と思わない方が異常でしょう。

あの犯人らに、復讐してやりたいと思うのも、正常な感覚だと思います。
個人が、カラシニコフを持って乗り込む、とか目の前にいたら引き金を引く、という次元でなくても。
くそう、コイツめ!と思って当然ではないですか。

 

 

処刑方法の是非

だいいち、あの、「首をかき切る」みたいなのが腹立つんです。

あの地域、豚は食わないんだろうけど(イスラムなので)、羊とか山羊とか、家畜を屠(ほふ)るのは、けっこうやってるだろうと思う。屠(ほふ)り慣れてるというか。行事があると「よし、屠(ほふ)ろう」みたいなことがよくあるんでしょう。

あんまりその意味とか技術(?)とか、日本には馴染みがないですね。
日本では、個人はあまり屠(ほふ)らないから。

日本では、食肉処理業者がもはやブラックボックスにしてしまっていて、屠畜(屠殺)に関しては、「知らなくて良い」状態になっている。
それゆえに、肉をこんなにも消費しているにも関わらず、動物を屠(ほふ)ることに関しては「残酷だ」「見たら肉食えなくなる」なんていう、どっちが残酷だよそれ、と言いたくなるような状況になってしまっている。
マグロの解体ショーには嬉々として集まるくせに。特売のお肉祭りには欣喜雀躍して行列するくせに。

生活の中で、昔は鶏とかも締めていたんでしょうが、私の世代でもそれはまったく知りません。
近所でも見た事なかった。
なので、そうやって「生きるために殺す」という現場を見ることがない世界(世代)にとっては、ナイフで血を見る、ということが、すでにショッキングでしかない残虐なものにしか映らない。慣れてない。

そのあたり、中東地域との、基本的な耐性に違いがあるような気はする。

だからそんなに、イスラム国のやつらはあの殺人方法を、日本人が持つような「猟奇的なイメージ」でやってない感じがする。残虐、のレベルが違うというか。

日本人にとっては、もう「フィクション」のレベルでしょう、首を切る、なんていうのは。江戸時代以来、そんな風習はないわけですから。

 

 

もうひとつ、腹立つこと

そして、文化の違いとかじゃなくて、もひとつ言いたいのは、

“お前ら銃で脅しといてそれはないだろう”

ってことです。

 

 

拉致する際、イスラム国のテロリストは、銃を向けて脅したはず、ですよね。

1人ないし複数で、銃口を向けて、拉致した。

その「銃の、恐怖」に従って、後藤さんも湯川さんも、連れて行かれることにしたはずなんです。
そういうもんですよね、たぶん。

奴らが全員、ズッキーニとはヘチマしか持ってなくて、それを向けて「来い!おまえらオラ」とか脅してきたら「おっ、いや、戦え…るな…?あれ?…いけるっぽいぞ、全力なら…逃げるくらいは…」とか考えたかもしれないですよね、武術の心得があったりしたらなお。

ナイフで脅されるのも怖いけど、銃(AK47とか)とは、やっぱりレベルが違うでしょう。

そう、「銃だから」、従ったんですよ。

 

それを、最終的に、銃殺もせずに、後手に縛って、縛ってから、ナイフで殺すっていうそのやり方、ものすごい侮辱に思えませんか。

捕まってしまえばどっちも同じ、かもしれませんが、銃殺しないっていうその感じ、腹立つんです。

それなら、ナイフで来いこの野郎、って。
その場で死ぬまで戦ってやったぞこの野郎、って。

 

これ、変なこだわりに見えるかも知れませんけど、そのへんの感覚が、腹立つ。
なにを、しょーもない、家畜みたいなやり方で殺してくれてんだこの野郎、って。

 

 

じゃあどうすればいいんだろう

全世界が平和になったらいいな、とはもちろん思います。
先に犠牲になるのは、大義だなんだと酔っ払ってる男達と違って、いつも子供らですから。
こどもらは、未来も奪われてるわけだから、何倍もかわいそうなんですよ。
「平和か戦いか」すらも選べない頃に殺されてる。紛争なんかは、なくなってしまえと思う。

でもそれ、どうやらすぐには無理なので。
次の瞬間、世界から、武器という武器、弾薬という弾薬、作戦という作戦、宗教という宗教が、パッッッと全世界同時になくなったら、
「はい、よし、じゃあ、もう戦争が起こらないような工夫を考えていこう」っていうことにも、
なるかもしれない。

でも、それはあり得ないでしょう。
すでに起こっている「憎しみの連鎖」を、なんとかかいくぐって生きていくしかない。

 

「イスラム国」っていう名前にコロっと騙されて、なんだか国対国の交渉でなんとかなる、と思ってた人もいるみいだけど、ぜんぜん無理ですから。
オウム真理教に、真理なんかなかった、のと同じですよね。

彼らはただのテロリストで、人殺しで、暴力集団だから。
信義があって、宗教があって、戦っているというのは単なる「建前」。
金目的で、日本人は、かの地で、また狙われます。

それを完全に辞めさせるには、武力による鎮圧しかないと思います。
他に、どうしようもなく。

 

二人が殺された意義

今回、身代金を払わなかったから殺された、政府が悪い!
と本気で心の底から言っている人らがわりといて、少しだけ驚いているんですけれども、それ払ったら、確実に次、また狙われますからね。

今回「払わない」「交渉はしない」という態度を見せることで、「日本人、狙っても意味なくね?」という風に持っていけた可能性もある。

その意味では、お二人の犠牲によって、少し前進したのかもしれない。

 

ちなみに、まったく交渉してない、というのを信じてるのもバカバカしいですよ。
裏側のルートで、交渉してるに決まってるじゃないですか。
向こうが提示する「正式な交渉」を受けつけない、というのが大事なんですよ。
向こうの「交渉のテーブル」に乗るということは、すでにこちらが譲歩しているということを示すことになってしまいます。
テロリスト集団が、公の場で、主権国家(日本)と正式な交渉についた、というだけで、向こうにしかメリットないんです。テロリストがやっていることは違法ですし許されることではないので、まっとうな交渉はしない。それが当たり前です。見えないところで動くのが、交渉というものでしょう。

首相が挑発したから二人は殺されたんだ!ということを一生懸命叫んでいる集団がおられますが、では、一国の、主権国家たる日本の総理大臣が、どういう発言内容で、どういう単語を用いれば、あのテロリスト集団が「!?あれ…!?そうかも…!?うん、人質解放しよっかな…!?」という気持ちになっていくのかを、例文を提示して教えて欲しいですね。そういうのはナシなようなので、意味のない遠吠えです。

 

 

 

命が大事、ということでデモやってる連中の了見とは

首相官邸前でデモをやってる「なんでも官邸団」のみなさんが言う、
「命が大事」ということには、誰も反対できないんです。

なぜなら、「命は大事ではない」と言った瞬間、自分の命がなくなってもいい。と言っているのと同じになるから。

厳密には、それは違います、

命が大事だ!命を守れ!と叫んでいる人たちは、その「命が大事」が、お題目になってしまってるんです。
唱えるだけで効果の出る、魔法の言葉。看板そのもの。

この言葉を唱えない者は、「命を大事にしない人」と認定してしまう。

だって、「命を守れ!」っていうのは、「命を守ってない!」と思う相手に対して、叫んでるんですよね?

今回の場合、命をぜんぜん守ってないのはイスラム国のテロリストなんですが、アラブの人らには言葉が通じないので、通じる日本国内で、活動したいんですね。

たとえば、なにかのイベントがあって。

「命が大事」と書かれた看板が、入場口にかかっていた。

誰が見ても「そうだよね、命は大事だよね」と思うので、なんの意見も出ない。苦情もこない。

しかし、お客さんが増えてきて、入場制限・人員整理をする必要が出てきた。
主催者は、新たな看板「行列の最後尾はこちら!」を出したい。
スペース的に、「命が大事」を取り下げて、「行列の最後尾はこちら!」を出したい。

しかし、「命が大事」の看板を掲げた人らが、「なぜこの看板を下げる!命が、大事ではないというのか!!!!」と怒る。

これ、命がどうこう言ってるんじゃ、ないじゃないですか。
命が大事じゃないなんて、言ってない。

でも、「看板そのもの」と「命」を、混同してしまってるんです。

「お題目」とは、そういう意味です。

 

 

そして、そのお題目を守ることが目的と化しているので、官邸前でデモをやることだけが決まっていて、その内容をこねくり回さないといけなくなってる。
だから、DJを連れてきて音楽をかけてダンスをする、というようなことになる。

あれ、イスラム国のテロリストにとっては「退廃的な西洋の音楽」ってことで、すごい刺激することになりますよね。そういうのはぜんぜん考えない。自分らの運動を維持することが目的だから。

あと、大川隆法氏の「霊言」に怒ってる人らがいますが、いやいや、それ以外がまともだと思ってるからそれに怒りがわくんであって、幸福の科学のデタラメさを最初からわかってたら、あんなのどうってことないデタラメでしかないんだし、静かに無視すればいいだけだと思いますよ。

そんなに幸福の科学や創価学会や他の新興宗教関係者が今回の事件に怒っているのなら、やはり折伏に、彼の地へ乗り込むべきじゃないですか。

「絶対に救援に来ないでください」という念書を日本国提出して、教義と本尊を盾に、説得しに行けばいいと思います。憲法9条という宗教を信んじている人らも同様に。

 

 

 

 

 

 

 

アメリカはイスラム国に勝てない

アメリカはイスラム国に勝てない
価格:886円(税込、送料別)