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 子供に対する凶悪事件が多発しているというイメージは避けがたくあって、実際はなかなかそんなことは起こらないんだけど、万が一起こった時に「我が子だけは」と子を持つ親が不安になって、「守るぞ我が子」的な行動を起こしたくなる気持ちはとてもよくわかる。

 

でもしかし、かつて滋賀県長浜市で子供を殺したのが、同じ幼稚園に通う子供の母親だったという事実は、

「親が最後の防波堤などではない」ということを見せつけた。

というか、子供を通学路で守るということは、事実上不可能だということだ。

それを、まずは覚悟しておかねばならない。

監視カメラ。
スクールバス。

それらも

「監視カメラになんか映ったって構わない」

という変態殺人者には屁の役にも立たないし、

 

「スクールバスの運転手による幼児殺害事件」

なら、
スクールバスの増加と同じようなグラフの伸びを見せるだろう。

子供を隔離して、監視して、
それで安全だということには絶対にならないのだ。

 

 

安全は、「絶対」ではない

 

危険というのはしょせん、
「○○と比べて」というものでしかない。

まっすぐに伸びる曲がり角のない見晴らしの良い道路でも、
けがをする時はするし、
自爆するように転ぶ子もいる。

うっそうと茂るヤブがあるとか、
大きなダンプがよく通るとか、
不審者とおぼしき男が住んでいる住宅があるとか、

そういう道に比べて安全だ、というだけの話である。

 

つまり、
「危険じゃない通学路」などというのは、存在しない。

 

問題は、その

「できるだけ危険じゃない方向」へ、

子供自身が判断して行けるかどうかであって、
大人たちが壁を作って思考能力を奪うことではない。

少しの危険を犯して道草を食い、
そのリスクを自然に学ぶというような自由度(それを判断力と呼ぶ)すら奪っておいて、ケガひとつない子供時代を過ごした人間と、将来どんな話ができるというのか。

 

どう考えてみても、
やはり悪いのは

「犯人ただひとり」なのである。

 

大人たちがどんな策を弄しても、それを軽々と乗り越えて命を奪う凶悪者が、社会システムの不備などではなく全面的に悪い。

そして、事前には絶対に止められない。

 

それなりの覚悟さえあれば、前述した通り監視カメラも保護者による送迎もスクールバスも関係ないのだ。
殺す時は殺せる。相手は子供だ。

だから保護者たちが大声で叫んでいかなければならないのは、じつは通学路の安全や保全ではない。

「凶悪犯罪者への厳罰」は必要だな、とやはり思う。

 

軽々と乗り越えられるような壁ではないぞ、というくらいの厳しいペナルティを、すぐにアタマに浮かぶくらい有名にしておけば、「それなりの覚悟」のハードルが変わってくると思うのだ。

 

ある程度、両方のてんびんに乗せた重みを量って、やるやらないを決めるのが犯罪だろうから。

しかしそれらをすべてご破算にして突入するタイプの犯罪は止められないから、被害者数をゼロにすることは土台、できないのではあるが。

 

凶悪犯罪は増えたか

 

どちらにしても、凶悪犯罪が増えたように見えるのはテレビのせいである。

こだわりのラーメン店が急増してブームを作り、
「ラーメン屋やるならこだわりだよな」
と全国民の意識にすり込んでいるのはテレビだ。

それとまったく同じ構図だと、思う。

「ひどい事件だねえ」とは言いながら

“あのひどさ”を

知識として蓄えてしまった犯罪者予備軍たちが、
その水位の上昇を無意識に出してしまう日がくる。

やはり「超・厳罰化」を真剣に考えねばならない。

でないと、

「地下道高速移動登下校」という常識を作るための予算が組まれる日が来るかもしれない。

いやいや、だからいくら逃げても無駄なんだってば。

いずれ、その係員が子供を殺すから。

 

「サファリパーク的な発想」は辞めないとね。