皮肉を理解して次のステップへ進もう!

皮肉って使いますか。
アイロニー、と言ってしまっていいんでしょうか。
 
これ、ぜんっぜん理解してない人って、ほんとにいるんです。
けっこういる、と言ってもいいでしょう。
 
「皮肉」という言葉は知ってるけど、どういうところで実際に使われているかが、ぜんぜんわかってない。
 
今日は少しだけそのニュアンスを広げて、書いてみたいと思います。

いえ、分かってないのは、ほんの一部の「利口ぶったバカ」だけだと思いますよ、安心してください。
たとえば、 「子供は親を選べない!」というやつ。

 

 

子供は親を選べない

どんなにヒドイ親であっても、子からすれば親は親、悲しいもんだよ子供って、と。
「誰が産んでくれっつったよ!!」なんて、非行少年の常套句だったりして。

これを、そのままの意味で受け取っちゃいけませんよ!!

皮肉ですよヒ・ニ・ク!!

 

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子供が親を選べるわけないでしょう、当たり前です。
親だって、育てはできるけど子供を選べはしないんです。
どっかからサラってこない限り。
選べるのは「産むか」「産まないか」だけ。
「この子かどうか」までは選べない。

だから親と子で条件は、実はほぼ対等なんです。

でも子供からしてみれば、親よ、ちゃんとしておくれよ!という嘆きになります。
自分の生への、やり場のない怒り。

しかし大人からすれば 「子供は親を選べない!」と言われたら、「そうだな、どんな悪ガキであっても、この子のために、しっかりしてやらないと!」という戒(いまし)めにつながるわけです。

主眼は、大人にあります。
つまりこの言葉、製作者は大人なわけです。
 
大人がですね、 しっかりしましょうや、と、自分たちに向けて放った皮肉なんです。

こどもの「人権宣言」などではない。

それを言葉のまままに受けて、「選べないんだ!子供は!悲しい!」などと感じている人がもし、万が一、あなたの周りにいたら、優しく言ってあげましょう。

「大人になれればいいですね」と。

ファンが芸人を育てる

あと、 「ファンが芸人を育てる」。

これ、劇場でじっさいに耳にしたことのある言葉です。
上の例を読んだあなたは、もう理解してくれてますね?

皮肉ですよ、ヒ・ニ・ク!!

ファンと芸人の関係は、すでに誰でも知っている距離感ですから、問題は「育てる」の部分なんですよ。

普通、育てる方が上位で、育てられる方が下位ですよね。
養われてる、に近いニュアンス。

しかしこの「ファンが芸人を育てる」が、劇場で払う木戸銭や乱発されるDVD購入費による芸人の生活の安定、でないことはもう、おわかりですよね。

「芸人を育てる」とは「芸を磨かせる」ことでしょう。

 

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では、その「育てる」とはなんなんでしょうか。

 ずばり「笑わない事」だと思うのです。

あっ、しばらく「皮肉」からは脱線しそうです。

故・中島らもさんの言葉に「くちあき」というのがあるように記憶しています。
 
「くちあき」という存在。

「くちあき」は、とにかく、好きな芸人さんが登場したら、なにもなくてもゲラゲラ笑う。

普通の時は最低限、クチを開いている。そういうファン。
面白くなくても笑うのが 「くちあき」だそうです。

それでは、優れた芸人は育たないと。
最初からキャーキャー言われてしまう芸人は、先へいって必ずポシャると。

だから真にお笑いが好きで、特定の芸人さんを応援したいと考える立派なファンの人は、「それはさすがにおもしろくないだろう」と誰もが思う場面では、笑わないのが正しいんだと。

する、よほど鈍感な芸人でも 「ゲ、あの人ですら笑ってない!なんでだ!!??」と、次回からはさらなる工夫をする、と。
 
それを繰り返して、芸人は育っていく、と。

このあたり、 少しややこしいですけど、「ファン」というのは「笑う人たち」なんです。
その「笑うひとたち」が「笑わない」ことで芸人が育つ。

長い間、立場がはっきりし続けるのは、芸人の方だけなんです。
ファンは、いつでもファンを辞められるから。

だから「芸人がファンに育てられる」ことは、実はそう多くない。
育つほどには、同じ場所にお互いがいない関係ですから。

しかしいつも入れ替わるファンに、いつも緊張感を与えてもらうのが芸人です。
おのずと、育てられてしまうわけです。

しかも「笑うはずの人」が「笑わない」という現象によって。

だんだん「皮肉」に戻ってきてますよ。

ぼーっとしててもらっちゃ困りますよww

 

「ファンが芸人を育てる」は「皮肉」なんです。
芸人が育つのは「ウケない時」の後です。
工夫を凝らすその努力です。

だから「笑わないこと」をも愛情として表現できる人が真のファンである。

しかし実態はどうでしょう。

ファンと呼ばれる人たちはみな、ただ騒ぎ、「くちあき」なだけ。

それでは本当は、ダメでしょう。

悲しいかなほとんどが、そういう状況だと思われます。

だから 「ファンが芸人を育てる」は、現状を嘆く皮肉な言葉なんです。

ほんとはそうあるべきなのに、なにやってんだ、ファンのやつら、なにやってんだ、そして甘えた芸人たちめ、という思いが、双方に向かって込められてる。

 決して 「ファンがいてこそ芸人は成り立つ」「ファンの方が偉い」という意味ではありません。

 
だからファンがフンゾリ返る理由にもならないし、芸人が怒る理由にもならない。

皮肉を理解しなければいけません。

お店のトイレの張り紙

 

もうひとつ分かりやすい例は、お店のトイレの張り紙です。

「いつも奇麗に使っていただき、ありがとうございます」 あれって、本気の御礼じゃないですよね。

「奇麗に使えよ!」という皮肉です。

「汚さずに使ってください」とあからさまに注意するよりは、柔らかい表現になる。

しかし、ほんとにいつも奇麗に全員のお客さんが使っているのなら、トイレは汚れない。
それがもし当たり前ならば、特に御礼も必要ない。

 
だからあの張り紙があるということはすなわち、

 「汚すフトドキ者がいます。ヨロシク」という意味なのですよね。

 

皮肉は、非常におもしろい。

気づかない人は、その文面どおり受け取ってしまうものだから、バカにされてるのにも気づかない。

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「皮引きゃ身引く」の例えもありますが、

言葉はしばらく、

ぢーっとひとつ向こうの意味まで考えないと、

面白さは見えてこないようです。

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