嫉妬について考えるというのは、嫉妬するのとは違う。
ここ勘違いされるとすごく困る。
「よく嫉妬について考える」のと「よく嫉妬する」のはぜんぜん違うからね。
「よくマカロンについて考える」のと「マカロンをよく食べる」はぜんぜん違うだろう。
それと同じだ。
嫉妬はなにか
さて、嫉妬ときくと、「やきもち」のことをすぐに思い浮かべる。
女が男に、男が女に、やきもちを焼く。
キーッ!わたしという女がありながらよくもあんなズベ公と!というやつ。
男にだって、それはある。
お前さっきの男とニコニコ喋ってたななんなんだよアイツ!とか。
でも一応、女性の得意技のように言われている。
嫉妬は、「嫉」も「妬」も、ともに女偏(おんなへん)。
現代の感覚から言えばこれは女性差別だが、そんなこと言ってたら笑われてしまう。
「女の腐ったみたいなやつだな」というような言い方と同じで。
「実は、男の方が女々しい」、などもそうだ。
訓読みだと「嫉」は「そね(み)」、「妬」は「ねた(み)」と読む。
辞書で調べると、「他人を羨ましく思い、その分だけ憎らしいと思う感情。」と書いてあった。
「羨望と憎しみの入り混じった感情」。
なるほど…。
ん?あれ?男が女に、女が男に、っていう部分が、第一ではないんだな。
恋愛や夫婦間にあるような人情味は、まずは関係無いように感じられる。
男女の関係における、そういう「やきもち」な感情は「悋気(りんき)」とも言う。ちなみに悋気によって出る炎は青いらしい。
ブルーフレイム。
アラジンのストーブは関係なく。
なぜ青い炎かはわからない。
でもその炎で焼くから、「やきもち」なのかも知れない。
「焼き餅は 遠火で焼けよ 焼く人の 胸も焦がさず 味わいもよし」。
嫉妬は巧妙に隠される
さて、よく考えるのは恋愛の嫉妬ではなくて、本来の「嫉妬」だ。嫉妬は、どんな形で現れるのだろう。
わかりやすいのは「嫌がらせ」として現れる場合。
しかし、そうではない方が多いからまったくもってややこしいし、鬱陶しい。
「嫉妬してます」と言いながら嫉妬する例は、極めて少ないから。いや、絶無かもしれない。
嫉妬は嫉妬というラベルでは現れてこない。
時に「親切」とか「アドバイス」とか「本人のためを思って」というラベルが堂々と貼ってある。
確認のしようがないので追求はできないけど。煎じ詰めれば嫉妬の灰汁(あく)で濁るほど、それらに嫉妬が沈殿している様子が。
「あの人(ら)は、ああいう路線になってしまったが、もっとああした方がいいのに」というのも、そのパターンのような気がする。ほっといたれよ、という視点で見れば、「あの人(ら)」は、自分と周囲の最善策を選んで、自分の責任において、悩みながらもその路線を選択しているのであって、正直、なんの関係もない、心情も未来も考えてくれたことのない人らに「こうした方がいいヨ!」などと言われる筋合いはまったくない。
なぜ、そんな嫉妬がおこるのか
では、言う方は、なぜそんなことを言うのだろうか。
まず、「あの人(ら)」を、観測範囲に入れているということが、問題。
気にしているから見ているのだ。
気にしているからその動向を知っているのだ。
気にしているからその方向性が気に入らないのだ。
原義に戻ると「嫉妬」とは、「羨望と憎しみの入り混じった感情」。そう、「うらやましい」という感情が、その底に眠っている。
そして、いつも観察していることが、「うらやましい」を呼び覚ます。
うらやましい、はそのままはクチに出しにくいので、なんとかそれを形を変えて表現したくなるということだ。それが「もっとこうした方がいいのに」なのだ。
…これは、自分でも気付きにくい感情の動き・流れなので、思わず誰でもやってしまう。
なので、そういう無意識的なアドヴァイスじみたことをしてしまう人は、いろんな人を「観測範囲から外す」と良い。
外すことで、その感情の発露を防ぐという方法をお勧めする。観測範囲から外すと、そもそも「あの人(ら)」の動向に興味がなくなるので、自分との比較から生まれる「本当はうらやましい」という感情が減る。ええ、なくなりはしない。減るだけだ。
しかし「うらやましい」というのは自分の足りない感じ、不足・不満・不幸を嘆きたいという核から生まれるものだから、もっと自分が幸せに・充足している、という核があれば、たいていは他人様がどうなろうと「とにかくその路線でガンばってみてよね!」で済んでしまうものなのだ。
人のフリ見て…
そこまで(自分の内部を)観察してみると、今度は周りも見えて来る。つまり「ああ、そこまではほんとのアドバイスだけど、そこまで言っちゃぁその原材料は嫉妬だぜ!?」というような例が、目につくようになるのだ。
どんな人にも、その核は埋まっているから。
内容としては繰り返しになるが、
自動車だと「認知」→「判断」→「操作」
という順番で運転しているというのは知られたところだが、
この場合、「不満」→「嫉妬」→「アドバイス」みたいな感じになっているということだ。
嫉妬が「おためごかしなアドバイス」に変化する。ラベルが違う分、ちょっとやっかいだ。
逆に言えば、嫉妬で嫌がらせをされているというのは、まだわかりやすい段階だ。
正面切って打倒できる余地があるから。
地獄に堕ちるのは、妬み/嫉みの強い者だそうだし。
そしてこの感情は、いろんな悪い事に派生する。
どうやって「不満」→「嫉妬」→「アドバイス」を「不満」→「◯◯◯」→「アドバイス」に変えていけるかが、人生の意味のひとつであり、ヘヴンズドアーの鍵であると考えられる。
まずは「認めること」。
「ただ生きるな、善く生きよ」とソクラテスは言ったが、そのコツのひとつは、まず、
「自分が持っている嫉妬するこころ」を、認知することではないだろうか。
【オーキッドシード 1/7 レヴィアタン 叛傑ホットパンツノ節 通常版 七つの大罪 嫉妬の章 フィ… |
【楽天ブックスならいつでも送料無料】嫉妬の世界史 [ 山内昌之 ] |