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「お笑い論」はなぜおもしろくないか。

投稿日:2016年9月7日 更新日:

笑点 座布団カバー

「お笑い論」は、なぜおもしろくないのか。

まず、多くの人は「お笑い論」になど興味がない。
一生、読む機会もない。
それは、正解だと思う。
知る必要がないから。

体系つけられた理論が学問として確立されているわけでも当然ないし、それを身につけた(修めた)からといってその人が即ちおもしろいかというと、絶対にあり得ないとすぐにわかるから。

逆に、そんな小賢しい知識のまったくない人の方がおもしろい、ということを、われわれは体験で知っている。

「お笑い論」的な著作が、数十点、刊行されている。
もちろんそのすべてに目を通したわけではないが、多くに「こういう理由でおもしろいのです」という、得意げな説明が書いてある。

やたら数式を真似たお笑い理論的な「ここにこれを当てはめればおもしろい」という言説が、いかに的外れでおもしろくないかを説明するのに、今ここでそれら実際の刊行物をやり玉にあげるのが一番効果的であることは言うまでもない。

 

…それは辞めておきましょう。

今回はいかにそれが、意味のないことなのかだけを理解していただきたい。

簡潔に言えば、まず第一に「それがもう、おもしろくないじゃん」ということ。

「これが、なぜ、笑えるのか説明しよう」という解説文を、おもしろいことと同じくらいに笑えるはずがない。

手品の種明かしとは違います。
手品には、その技を観た時の驚きと、その驚きのトリックを知った時の驚きがある。
それだけマジックは、非日常性の高いものなのだ。

美味しい料理を作る“方法”に、味が無いのと同じだ。
もちろん、お笑いにも「おもしろい解説」が存在する可能性はあるが、「元々のおもしろさ」が無ければ「解説」は生まれないわけだから、その「おもしろい解説」は独立して考えるべきではない。

決して「笑いを取る方法がある」から「笑い」があるわけではないということだ。
「笑い」がまずあったから、「こうすれば笑える」という後づけの説明ができるに過ぎない。

もちろん、職業作家やプロのお笑いの方々はそのノウハウを身につけているが、彼らが決してそれらを(少なくとも理論づけとして)公にしないのは、隠しているからではんない。

それが空しい机上の空論だと身を持って知っているからだ。
常に爆笑を起こしているプロだって、文字に起こした理論をそのまま実践するのは「恐怖」だと口を揃えて言うだろう。
注目されるに決まっている職業上のノウハウを、決して彼らが安易に著作物にしないのはその為だ。

いわゆる「理論家」は、その現実を正座でもして、謙虚に知るべきなのだ。

 

第2に。

笑うことは、たいへん日常的なことだ。

ほとんどすべての人にあてはまるであろう事実として、おそらく笑う時に出した声の総量は、テレビや舞台を見た時よりも、親しい友人や家族との間で発生した時の方は多いのではないか、ということが言えるのではないか。

その時に「今、なぜおもしろさが生まれたかと言うと…」という説明をしてさらなる爆笑を毎回生む人がいらっしゃったら、どうぞ全世界にご紹介ください。

ところが、「説明ができてしまう」のも事実なのだ。
どっちなんだお前、と言われそうだが、説明することは可能だ。

会話にはそんなに激しいパターンの変化があるわけではないから、いくつかの要素を取り出せば、まるで穴埋め問題のように、まるで変数を入れ替えれば無限に笑いが生み出せるかのように、「説明ができてしまう」のだ。

「今のは彼が言い間違えたことに加えて、それを聞き違えた人がいたことによる、“誤解の長引き”という名の笑いだ」。

などと…。

聞く気するww?

逆から言うと、普段われわれはそんなに、会話のパターンにバリエーションを加えようとして話しているのではない、とも言えるし、おもしろい話をする人は、やはりそこになんらかの工夫と努力をしている、とみるべきだろう。

何度も言うが、だからと言って、説明できることがおもしろい事とは限らない。

 

むしろ害でしょう。

できれば、そういう説明を数式で表してしまっているような方々に、実際に目の前で、その変数を駆使して笑わせていただきたいものだなぁと思う。

お笑いをナメるな、と小声で言いたい。

もちろん、お笑いを愛しているからこそ生まれた思い違いであろうと推察はできるのだが。

「お笑いの先生」「講師」を自称する方々に、是非、「世代別・層別に同程度の爆笑を生むお話」を、そのテーマ名を掲げて行っていただきたい。

またはお商売として「お笑いの先生」「講師」をして生徒から授業料を巻き上げて稼いでいるロクでもないおもしろくないオッサンどもに一同に会していただき、「笑いを取る方法」と題したイベントを開催していただきたい。

彼らの弄しているのは単なる詭弁に過ぎない。
使えもしない、コミニュケーション力を欲したビジネスマンを騙す「机上の空論」なのだ。

舞台の上で、赤の他人何百人というプレッシャーに耐えたこともないただのド素人が、理論だけを振りかざしてわかったようなことをヌカすな、と、これは大声で言いたい。

個人的には、「わたしはオモシロ先生である。今から、爆笑することを言う」と前置きされて爆笑させる方々がもしいらっしゃるとしたら、この先の人生で極力出逢わないように祈りたく思う。

なんだか、喧嘩を売ったように見えたかもしれない。
あまり言い過ぎてはいけないことなのだ。

ああゆう方々はあくまで、「群がって来る“芸人志望者”を食い物にする『ビジネス』としてやっている」と理解する必要がある。

そして「名選手、名監督になれず」「その逆も真なり」という言葉どおり、立派な指導によって素晴らしいお笑い芸人を育てる講師や先生がおられても、おかしくはないとは思う。

ナイス・フォロー。

その可能性はかなり低いよ(←フォロー台無し)。

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