国の死に方 (新潮新書)

ちなみに、若槻民政党内閣の後を受けたのが、五・一五事件で倒れた犬養政友会内閣。犬養の次の首相は二・二六事件で暗殺された斎藤実。その次の首相は二・二六事件で間一髪難を逃れた岡田啓介となる。浜口、若槻、犬養、斎藤、岡田という五代の首相のうち、三人が殺され、1人は殺されかけた。(p.147)

大恐慌後の理想の国のかたちとは?もはやグローバリズムの時代は終わった。世界大恐慌に巻き込まれて難破し沈没するのがオチである。かといって江戸時代には戻れない。鎖国では立ち行かない。近代国家の体裁を維持するには生存圏が必要だ。つまり自給自足圏だ。日本だけでは狭すぎる。資源もない。一国閉鎖の経済でもなく世界経済でもなく、これからはブロック経済だろう。初めは日本本土と植民地の台湾や朝鮮、それに満州国をセットにした「日満経済ブロック」の建設が叫ばれた。(p.185)

本の現状を憂うとき、やはり東日本大震災の悲惨さを思い浮かべずにはいられません。
やはり本書も、導入部はその想起から始まります。そして皮肉にも、後段にある、戦後すぐ、突如「水爆怪獣」として本土を荒らしたゴジラの解説の多くの部分がその回想と重なってきます。
明治憲法、とひとくちに、古い制度・古い体制・古い思想・唾棄すべき悪習、というようなイメージで言ってしまうけれど、なにせ、その憲法が出来る時代の少し前まで、江戸時代だったのですよ。

今でも「え〜TRFって20年も前〜?」と言っている人をダンササイズの流れで見かけますが(TRFメジャーデビューは1993年2月)、明治憲法(大日本帝国憲法)が制定された1889年より、たかが17年前(明治5年)まで、日本は「太陰暦」を使っていたんです。
そのころ、坂本龍馬は死んでますが、勝海舟はぴんぴん生きてますからね。

勝海舟

第一次世界大戦と第二次のそれ(第二次が勃発するまで、とうぜん第一次は「第一次」とは呼ばれていない)の間、戦いこそしませんでしたが戦勝国よりの立場で活況にわいた東の果ての日本は、その好景気から一気に栄え富んだ国ゆえに暴れっぷりを抑えられなくなった上、その民主主義はロシアや中国や反動分子の活動によって、危機にもあったようです。
森喜朗首相が「神の国発言」でバッシングされてましたが(2000年)、あんなのも、平和という痲薬に痺れて浸っているがゆえだなとハッキリ思えます。

あれで、首相などこちらの意図でどうとでも潰せる、と、新聞テレビ各社は図に乗ったんですね。
ロシアで革命が起こったように、エジプトやシリアで体制が転覆したように、いくら2500年以上続いて来た日本だとて(今年は皇紀2673年)国がなくならないとはぜんぜん限りませんよね。

多くの亡国の徒も、まさか故国がなくなるなどとは思ってもみなかっただろうし。

歴史認識にはいろんな立場がありますが、「間違い」だとハッキリわかることもあります。

最近の韓国側の主張には「間違いなのに声だけ大きい」場合が多く、“立場の違い”を逸脱していますね。



ちょっと、度が過ぎます。

やはり戦中、ましてや戦後からの近代史を知るだけではダメで、江戸から明治、そして近代化して制度が整っていく過程を知らなければならないのだろうと思われます。


まるで戦争(第二次の方)の始まりと江戸時代の終わりがくっついているようなイメージを持ってはならないのですね。

決して「昭和の一時期、日本人が発狂した」というような見方を、してはならないのです。


ついでに言えば、ブロック経済がグローバリズムの果てに、独裁政治が民主主義の結果に登場したという事実も、こわいですよ。