斎場御嶽へ行くには、駐車場のあらう広場から道とはいえないような山道を歩いて行くしかない。木の根っこや岩がゴツゴツしたところを四百メートルほども歩く。この辺りは昼なお暗い大木が生い茂りハブが生息するので、地元の人も夜はもちろん、昼間でもあまり近づかないところだ。(p.48) 「ちょっと不思議に思ったことがあるのですけど」 ユタの群れが、香桜里に対して示した、畏れるような態度のことを話した。「ああ、それはたぶん、彼女たちが式にサーダカウマリを感じたからでしょう」メモ用紙に「性高生まれ」と書いた。(p.161) 沖縄の人に聞くと、「ユタ」という存在はやはり昔からそれなりに生活に密着しているようで、それでも全国規模で(たとえば流行のスピリチュアルのように)取り上げられないのはなぜなんだろう、と想像すると、たぶん、沖縄ではすでに皆が興味を失うほどに浸透し密着しているから、し過ぎているがゆえに今さら誰も「脅威だ!!」と紹介したがらないんじゃないかな、というところに落ち着く。 沖縄はおおざっぱに概観すると「田舎」だ。 思い出せば日本全国にある「地方」に過ぎない。なので、観光地として営業している場所以外は、風光明媚な自然の景観を除けば、他の地方の田舎を見るのとさして変わらない。 本作に限らず、物語に登場するのはとうぜん有名な場所ばかりなので、それが拡大再生産され、いつしか画一的な、ステレオタイプな沖縄像が出来上がってきた。 考えてもみてもらいたい。 豊かな自然、温暖な気候、人情に溢れる美(ちゅ)ら国。 そんなに素晴しいんなら、なんで沖縄の若者はこぞって東京へ出て来るのだ。 地方で田舎で退屈で暑くて息苦しくてなんとなく血なまぐさいから、彼らは逃げるように島を出るのじゃないのか。 沖縄を素晴しいと誇る人らは、正しく沖縄に住んでいる。 まず、「南国リゾート」のイメージしか未だに持っていない本土の人に、沖縄の持つ歴史を学ぶべき機会を与えるべきなのだが、それでは観光地が潤わないのかも知れない。 ふわふわと上辺だけを滑るようにお金を落としていくのが、観光の本懐なのかも知れないからだ。 いくら知っても偏見から偏見へ振れるだけのような感覚すらある、沖縄。