ステッカーを貼ってしまうパターンには、3つある気がする。
A.ここにこのステッカーを貼りたい!という理由で入手し、貼りたい場合。
B.たまたま持っていたステッカーを「これじゃあ(この場所が)寂しく感じる」や自分のものとわかりやすくするためのマーキングとして、貼りたい場合。
C.これ貼ってるってw!おもしろいでしょw!という個性アピールで、貼りたくなっちゃう場合。
C.「これ貼ってるっておもしろいでしょ!という個性アピールで貼りたくなっちゃう場合」なんかは「最大積載量 積めるだけ」に代表されるような、最近はあんまり見ないけど「センス無いのバレる系」だ。「おもしろい俺」アピールは相当にお寒い。
そのステッカーの存在そのものが、面白い場合はある。
それを作ろう!とした心意気も、じゅうぶんに面白い。
「最大積載量◯Kgと法律で決まっているからこそ」のアイデアなわけだから、それをひっくり返して茶化す、という意図はもともと面白い。
でもそれを、貼っちゃダメなんだ。
難しい。
なにもおもしろくないんだ。
で、B。
これって実は「隠れC」なのだ。
こんなライブ行ってきたんだ!
こんな番組が好きなんだ!
こんなステッカー持ってるんだ!
俺ってこうなんだ!
という個性アピールだから。
「水曜どうでしょう」はA.かな?
人気番組のステッカーなんかは、そのファンであったりすると嬉しいものなんだろう。
個人的にそういう感情になったことが1秒もないのでわからないが、関係者でもないのに番組のステッカーを車に貼って、走り回ってくれるなんて、いいお客さんだ。
まぁ、でも、そうか。
でっかく「CHANEL」と書いたTシャツ着て歩いている人もいる。
たいてい佐川急便の服着て歩いてる人は佐川急便の人なんで、「CHANEL」と書かれた服とかバッグ持ってる人に「シャネルの人ですか?」と聞いてもいいかもしれないんだけど、聞いたことはない。たぶん違うことがわかっているから。
存外「へえ、わたしらあそこのもんですよ」といづもやばりに答えてくれるかもしれない。
一瞬最後に映る「ノックは無用」。
個人がブランドによって底上げされたような気分になる、というのはマーケティングなどでも研究されている分野だろう。
同じように「おもしろいと感じた番組のステッカーを貼ることで、自分もおもしろいセンスを持っているような気分になる」という作用があるのだと思われる。
これぞブランド力(りょく)。
結局、AもBもCも、センスが問われる。
「どんなステッカーを貼るか」、にではない。
『貼るか貼らないか』にだ。
つまり、貼っちゃダメなのだ。
「センスの無さがバレるから」もあるし「なに貼ったってダメ!」ということでもある。
Apple製品を買うとリンゴのステッカー(白)が2枚入ってたりするが、あれってどう使うんだろう。自分の自動車のリアガラスなどに貼ってる人がい流けど、Appleの人、ですか?
「へえ、わたしらあそこのもんですよ」っていうことなの?
とにかく、ステッカーという、裏に粘着剤がついているという「ただそれだけ」で、舞い上がって、貼るのはやめよう。
子供がどこへでもシールを貼りたがる、あれとまったく同じで、成長していない精神を露呈することになる。
でも、今回のこのわかりにくい稚拙な文章自体、「まったく意味がわからない。なんでダメなの?」という人がいることも、知ってる。
売り上げランキング: 7,115