「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みをあげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。
一緒になって同意してくれる仲間がいれば更に自分は安定する。
本来なら相手に並び、抜くための行動、生活を送れば解決するんだ。
しかし人間はなかなかそれができない。
嫉妬している方が楽だからな。
芸人なんぞそういう輩の固まりみたいなもんだ。
だがそんなことで状況は何も変わらない。
よく覚えとけ。
現実は正解なんだ。
時代が悪いの、世の中がおかしいと云ったところで仕方はない。
現実は事実だ。
そして現状を理解、分析してみろ。
そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。
現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。
その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」
この文章を読んで、脳内で自分の脳をぶん殴られたような気分になった人が、どれくらいいるだろうか。
脳内の出来事なので周囲には気づかれることはないが。
激しい自責の念、や反省の気持ち、が噴出するというか。
少なからず確実にショックを受けたりするはずだ。
この文章に表されている構造は、文中に出て来る「芸人」という特殊性を考慮してもしなくても、多少なりとも仕事上(または生活上)、感じざるを得ないことだ。
それを、ハッキリ歯切れよく語ってくれている。
現実は正解。 そうなのだ。
「こんなはずじゃない」 「こんな今の自分は本来、自分ではない」 「ほんとうはこんなことをやりたいんじゃない」 など、思いはいろいろある。
言い訳、と断罪されると気分悪いし、そう指摘されると「そうなんですよね〜」と笑うしかない。
いろんな事情があるし事情なんて千差万別だろがよ、と内心、毒づく。
でも、「現実は正解」なのだ。
もう少し詳しく言えば、 「現実は、絶対的な正解のひとつ」 だとも言えるのかも知れない。
内心の思いや事情への考察は、内的世界で広がる抽象でしかない。
解釈、と言い換えてもいいが、目の前の事態に対する評価には、自分だけでなく他人も参加しているというのが、現実だ。
つまり「現実は正解」というのを、「正解は現実の方にある」と言い換えられる。
とにかく、「現状を肯定し、そこから変革を迫る」という順序でないと、なにも変わらない。
「現状を“今は…今は違うんだ!”と否定し、変革を夢見る」というのは、なにもしていないのと同じだ。
「なにかをする、には、まず、「なにをするかを選定する」ことが必要だ。
「選定する」には、その判断基準が必要。
新たな判断基準が。 この「新たな判断基準」というのは、現状では生まれないので、新しい価値観が芽生えるような種まきを、しないといけない。 しておかないといけない。
それには、残念ながら、「勉強」しかないのだ。
学校でやったような勉強だけじゃなく、ああ、知らなかったなぁ、と思えるようなことを、たくさん知れるような。
確かに、こどもを「無知」と呼ぶのは間違いかもしれないが、こどもだって、学校の勉強で、価値観を創っていくだろう。
すべてが、知らない世界なんだから。
大人になって、強制的に勉強することってもう普通はないし、できれば避けて通りたいから、無理矢理に「自分の枠」を押し広げる作業っていうのは難しいのだ。
できれば、「楽しい」という入り口から入りたいし。
でも、趣味であっても、その深奥を極めるには苦労や懊悩がつきまとう。
単純な知識でも構わないので、なにか、始めるべきだ。
そういうのを、1000個ほど詰め込んだって、残るのは1個あるかないかだろうけど、それが4個、10個、30個とかになって来た時に、「新たな判断基準」が組み上がってきて、 今まで観てた同じようなもの(映画とか)でも、「あっっっ、こーゆーことなのか!」と、まったく角度の違う発見があり、その発見はまさに自分の生活や仕事に活かせるレベルで「なにをするか」を指し示してくれる。
行動に落とし込まれてくる。
いわゆる「ハック」のような、行動をえんえんとつまみ食いで脳に詰め込んでいっても、軽いパニックが起こるだけ。なのだ。
行動にはバックボーンがないといけない。
自然な行動にまで現れてくると、自分の肯定、現状の正しい認識にまで、勝手にフェーズは移行する。
そうやって現状を(善くも悪くも)肯定したあと、さらに新たな「なにをするか」にとりかかる。
急に「なにをすればいいかなー」と探しても、絶対に見つからない。
見つける主体である自分に、「新たな判断基準」が備わっていないと、どんな経験をしようとも、「経験が積まれる」だけになるのだ。
経験はもちろん大切なのだが、ゴミも余計なカロリーもたくさんついた、洗練されてないものなので、全部を「大切だ」と抱え込むと、大変な重労働になり、情報過多になり、いずれすべてが無意味化してしまう。
経験を活かすにも、「勉強は必要」だということだ。
じゃあなにから手をつければいいんだ!ということになるが、実は、自分ではうっすら気づいている、というのが、よくあるパターンだったりもする。
他人を(脳内で自分レベルまで)引き下げることで、瞬間的に現状が変わったような幻想を見せる、それが「嫉妬が持つ魔力」。
冒頭の文章は『赤めだか』(著者・立川談春)に収められていた、故・立川談志の言葉だ。
他人を嫉妬してるヒマがあったら、まず、なにか読もう。
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