発端は、「大安売り!」でしょうね。
ただ「安売り!」だけじゃあ寂しいよん、なんていう軽いノリだったろうと思われます。
安売りに大も中も小もないと思うけど、だからといってハイレベルなディスカウントだという意味で「高安売り!」だとどっちだかわからなくなるから。
価値の優劣がある感じじゃないと困る。
それもぢわっと意味があるというような難しい感じじゃなくね。
「東安売り」とか「虹安売り」みたいな、イメージングがやっかいなのもダメだ。
いつしか、次の時代に
「激安!」というのが出て来た。
「大きい」の上がまさか「激」だと思わなかった。
激しく安い、という、わかったようなわからない表現。
「あのお店、安さがとても激しかったね母さん。」という会話など聞く由もないから、別に著しく安い「著安(ちょやす、あるいはいちじるしやす)」、甚だしく安い「甚安(ジンヤス、あるいハナハダヤス)とかでもよかったと思う。
しかしまあ、「激」は「劇的」、つまりドラマチックという意味にも音的に通ずるから採用されたんだろう。
次の時代には
「爆安!」が登場した。
言ってみれば「爆発的な安さ」だ。
何度も言っているように、「安さが爆発する」というのは、今でこそ当然のような言い回しだがまったく意味がわからない。
どうして“安さ”という値段の設定が爆発するのか。
どうして蒸留や融解や昇天や解脱せずに、「爆発」するんだ。
そしてなぜ「爆発」が、肯定的なプラスイメージで語られるのだ。
そこにはなんとなく岡本太郎氏の「芸術は爆発だ」が影響しているような気がする。
芸術が爆発するんなら、もうたいがいの物が爆発したっていいだろう、というバブリーな感じだ。
それ以降、「かまぼこは爆発だ!」や「ほ乳類は爆発だ!」などという言葉が流布した痕跡はない。
そして今や
「鬼安!」もあたりまえなのだからおもしろい。
「鬼のように安い」のだそうだ。
お前みたことあんのか。
鬼ってなんなんだ。コミカルな想像しかできん。
ただ「すごく」ということを言いたいだけの為に鬼まで引きずり出してくるとは。
「カッパ安」だとなんだか値打ちがすごーく低いような気がするし、
「天狗安」だとなんだか立ち飲み居酒屋の名前みたいになってしまう。
「鬼安」だってじゅうぶん、めちゃくちゃ怖い生活指導の先生みたいなのだが、「鬼レア」なんて言い方もあるから、怖いくらいに突き詰めた稀少度だということはわかる。
いや、鬼はめったに見ることができないから、それくらいレアだということになるのかな?
「鬼安」は、激安に比べてどれくらい安いんだろう。
しかしこうなってくると、「大鬼安」とかという表現も可能だな。鬼に大中小があるかどうかはしらんが。
いや、大中小はなくとも赤とか青とかはあると言われているから「赤鬼安」は「青鬼安」より安い、みたいなのはどうだ(どうだって言われても)。
関係ないけど、赤鬼と青鬼の体型の感じって、
そのままマリオとルイージマリオとルイージですね。
えーとじゃあ、「鬼嫁日記」が人気だったりするから「嫁安」はどうだろう。
嫁が鬼なのであれば、イコール「嫁のように安い」だって成り立つはずだ。
「なあ嫁、駅前の商店街のセールは嫁安だぜ、おい、聞いてんのか嫁」と呼びかける。
しかし「おい」なんて言葉遣いが許される嫁なら、鬼より上位の安さを表すのに用いられたりしない。
鬼の最高位より上の世界に君臨するのがこの場合の嫁であるからして、自分の感覚から見て恐ろしく、そしてケタはずれの現象を目の当たりにした時「嫁のやうだ…」と歴史的仮名遣いで打ち震えてみる。
「超特価」という言い方もあるから、
「嫁特価」とか
「嫁特急でお願い!」とか
「嫁能力でスプーンをどないかする」みたいなことも可能か(なんの話か自分でもわからなくなってきた)。
いたづらにスゴイの形容詞を探しさまようとこうなる、ということだよ諸君。
どちらにしても、「大安売り」ではなにも感じなくなってしまっている自分がいる。
いつかブッ飛んだ時代には、
「虹安!」とか
「竜安!」とか
「嫁夢割引!」などという文字が広告に踊っているかも知れない。
嫁ってそんなにこわいの???