腹の立つことを「腹が立つ」と言うと…
「大人げない!」と言われてしまう。
後で考えると確かに、怒るほどのことではない。
大人げないと後には自分でも思うし、他人がそれで怒っていれば、自分もそう諌(いさ)めるだろう。
でも腹立つってことは、ある。
ただ、いつまでも怒ってるのはおかしい。
大人になるっていうことは、
「忘れるのがうまくなる」っていうことなのかも知れない。
将棋の羽生(はぶ)名人が
「長くやっていける秘訣はなんですか」と訊かれた答えとして
「忘れることです」
と言っていた。
深淵(しんえん)なる含蓄(がんちく)のあるセリフだなあと思った。
うまい俳優が…
セリフを覚える技術が巧(たく)みなのは、
文章を、感情とセットで覚えるからだろう。
想像だけれど、たぶんそうだと思う。
子供のころのことを、しっかりといつまでも覚えていて、
それが70になっても80になっても同じなのは、
子供のころは、知ることすべてに感動が伴(ともな)っているからだ。
「うわあおもしろい」とか「ひぃやぁスゲエ」など、
全部感情とセットでアタマに入ってゆく。
とんぼが飛んでいることに理屈や環境問題などが入り込まず、
とんぼが飛んでいることには
「とんぼが飛んでいる!」
というただただ単純な、感情が必ず寄り添っていたのだ。
そういうのは、忘れにくいのだ。
私たちは…
日本人である前に地球人なのだろうか。
世界をまたにかけるミュージシャンがそういうことを言ったりするから一瞬、
妙な説得力があったりするのだけれど、
彼が言ったのは日本だけにこだわらず、
世界(地球)全土をステージにしたいという意味だったのだろう。
実際は、その順序は逆だと思う。
日本人たる気概(きがい)と知識がなければ、
日本以外のどこへ行ってもまっとうには生きていけない気がする。
つまり地球人である前に、我らは日本人なのだ。
よく、海外で生まれた子供が、日本と外国ふたつの国籍を有するがゆえにアイデンティティクライシスに陥るという。
自分はナニ人なんだ!という不安にかられるそうだ。
まさにWhy?Japanese!だ。
外国と日本、両方あるから普通の2倍じゃないか、というのは実感の伴わないフィクションで、
実際は「自分はどっちなんだ」という迷いが生まれるのだろう。
自分を確立させる土台はやはりひとつしか持てないのかもしれない。
そこをベースとしてこそ、国際的な活躍をすることが可能になる。
日本人ですらないものが、地球人にはなれない。
世界中すべての言葉が話せるようになったとしても、話せるようになった自分はすでに、どこかの国で生まれたという事実がある。
スペースシャトルで生まれて、豪華客船で世界を漫遊(まんゆう)しながら育ったというのなら可能性もあろうが、そういう人に我が国の大統領にぜひ!という国は少ないと思う。
つまり、しっかりとした国際的信用を得るには、「故国を大事にしている」という事実がいるのだ。
やっぱり生まれた国を愛するしかないではないか。
そういう意味で言うと、「愛国心」という言葉は、当たり前すぎてなんだか居心地が悪い。
場所はともかく、人間は国でしか生まれないし、国にしか住めない。
国を愛するなんていうのは言うまでもないことなのだろう。
「心臓つき人間」みたいなもので、
一番肝心で大切なところは言葉にする必要はないのかもしれない。