伊集院光さんが(2013年)、「スピリチュアル女子大生」CHIEさんのことを 「なんかさ、すごいよね。スピリチュアル女子大生CHIEのイジったもん負けっていうかさ」 と、婉曲な表現を使いながらも痛烈に批判したことがニュースになっていた。
http://news.livedoor.com/article/detail/7933057/
記事に書いてあるとおり、「CHIEの霊視には根拠が無いため、反論すらできない」というところに、苛立ちを感じての発言かもしれない。
確かに現在、いろんな占いや鑑定などがある。
そんな中、たとえば四柱推命や星占いなど、なんらかの自然的な運行に頼った伝統、あるいはデータ、蓄積、などの客観的な資料があれば「これを元に算出してみると…」という“論拠”が示せるが、「とにかく私は見えるんだから仕方がない」と言われると、それを論破するには「いや、あなたにはなにも見えていない」ということを証明しなければならず、 ウソだ!と言い切るのは難しい。
あの人の言うことはホントです!という「証言」がある以上、議論にならない。
だって、見えるんだもんしょうがない、には勝てないから。
「論拠」がないと、「反論」できない。とはそういうことだ。
テレビにガンガン出てるタイプのああいう人たちは、すべて「ゴリ押し」。
どこまでをゴリ押しと呼ぶかは意見の分かれるだですが、誰か、権力や決定権のある人が「出ろ」と決め、それに乗っかる形で、有名になりたいという欲望に踊って、芸能人などを診る。
診られる方は基本的に無防備ですし、なにせ相手は権力者のお墨付きなので、「こんなのインチキだ!」とは言えないまま、ズルズルと、「そういう空気」が醸成される。
誰も検証しない。
その内、スピリチュアルな本人も、権力者に引きずられ、心ない罵倒に耐えかね、体調を崩す。
決まってこのパターンだ。
彼ら彼女らがテレビに出ているのは、「見える」からではなく、「有名になりたいから」なのだよ。
ここを外しては、本質を見誤る。
伊集院さんの発言は、「そういうゴリ押しされて、嬉しそうに我が世の春を楽しんでいるようなスピリチュアル女子大生の、決まりきったパターン化した転落人生を、婉曲な言い方で憐れんだ」 ものだったのかも知れない。
「売れたい」という欲望があるからこそ、足もとを見られて、おだてられて「芸能人だ自分も!」と浮かれているスピリチュアル芸人のたぐいも、同じだ。
マネタイズの上手い人は、一生食いっぱぐれないような仕組みを構築しているようだが、それはもう「芸人」ではない。
ああ、もちろん広義には芸人かも知れないが、「お笑い芸人」ではない。
そこがうやむやなのは気持ちが悪いところだが、しょせん、そういうスピリチュアルなものを求める人たちからの需要が、そういう業界を中心に経済活動として回っているという現実があるので、あまり批判ばかりしていてもしょうがない。
巻き込まれなければいいのだ。
でも須藤さん、「科学」ではないだろwww?
そして、「テレビに出なければいい」。
テレビにさえ出なければ、いいと、思う。