この夏は非常に、アルバイトさんがバカをみずから公開して雇い主の信用を著しく落とすスタイルで炎上するという例がとても多く見られる夏でした。
ネットだけでなく地上波のテレビでさえその炎上物件がくわしく説明されたりしているのに、なぜ、同じ様なことをして、またなぜ、 同じ様な方法でアップロードするのでしょう。
いや、その前に、「冷蔵庫に入る」って、そんなにおもしろいですか???
その辺のセンスと「それをアップロードするセンス」は、とても似ているんだろうな、と推察できます。
つまり、 「冷蔵庫に入ると面白い」と感じる程度の感性だから、「アップロードしたら面白い」と感じてしまうのであり、さらにそんな感性だから、「それをやるとどうなるだろう」という予測機能が壊れてしまっていることに気づけないんですね。
で、同じような仕様の人が、主に、似た様なランクの飲食店に多くいるという。
恐ろしいのは、「Twitterにアップロードすることだけはしない「冷蔵庫や窃盗以上のことを粛々と遂行しているバイトが無数にいる」という推察が容易に成り立つことを知らしめてくれたことですよね。
「もう、行かない」と感じた客の心を取り戻すのは大変でしょうね。
若い時には無茶をする自分を誇りたくなる時があるものです。
蛮勇、と罵られようとも、その時の衝動に突き動かされてやってしまう。
でも、もう、「こうなればこうなる」という、炎上パターンは見てるわけでしょう?
なのに、なぜ。
これは、「それを炎上と感じていない」か、「炎上をかっこいいものだと取り違えている」かのどちらかでしょうね。
今夏のような「一生ネット上に残る画像に顔出しまでして姿を晒すアホ」たちの存在を 【理解を超えている】と 斬り捨てるのは簡単ですが、なんとか理解してみたいではないですか。
ひとつは、 それを「かっこいい」「勇気ある」「面白い」と思ってくれるコミュニティがあること。
もうひとつに 自分の責任ですべての行動がまかなわれていると思い込んでいること。
が挙げられる気がします。
ひとつめは、 珍走団(旧暴走族)のみなさんが「ケンカ上等」などをお題目に掲げているのに似て、その集団やその社会の中でしか評価されないことに気づかないという閉鎖的な環境のせい、と言えるでしょう。
ふたつめ、 これけっこう重要だと思うんですが。
自分が働いている(アルバイトしている)という時点で、その店舗は「自分の店」なんですね。
自分で営業しているとは思ってないにしても、「完全なる自分の居場所」。
そう感じてしまっている。
とにかく大切に育てられて来た世代の子たちは、「自分が主人公」であるという気持ちが強いです。
それじたいはなんら問題ないとは思います。
その中に、「バカ」が混じっているということですから。
自分、という、全世界が認めるべき存在であるところの「私」が、今現在、仮そめに身をおいている場所が「この店」であり、 それは「完全なる自分の居場所」と矛盾するように聞こえるかもしれませんが、 かけがえのない主人公である「私」が、一時的に爪痕を残して存在した、皆が記憶に残しておくべき通過点なんですね。
でも、特に「青春」とは関係ないので、炎上するけど燃え尽きたりはしません。
まだまだ出て来ますよ。
また冬にこの話題でお会いしましょう、と言いたくなるほどに。
ああ、理由としては、あとひとつありました。
「芸能人ぶりたい」。
これですね。 これけっこうあるかも。