あの、第8巻の最後のページに描かれていた暗雲の正体は、これだったのだ。 イナゴの大発生は蝗害(こうがい)とも呼ばれる。 とはいえ、本当の、生物学的に正式な「イナゴ」ではなく、実際はトノサマバッタなどの種類だ。 通常、大挙して飛来したバッタは、そこでタマゴも生むので、連続して大発生するらしい。 現在、アフリカを中心に起こっている蝗害(こうがい)は、専門の機関が6週間先までの分布を把握し、対策を練っている。日本政府も、被害国には無償の資金援助をおこなっている。 現代では化学薬品による駆除が通常だが、三国志の時代、もはやこれは「天の声」にしか思えない、最悪の事態だったのだろう。 蝗害(こうがい)による飢餓・餓死・困窮・貧乏は、専門兵でない、いくさの時以外は農民でもある兵士にも、多大なる経済的・精神的損害を与えているはずだ。 おおざっぱにいえば傭兵である一兵卒たちは、たいした給金をもらっているわけでもなく、忠誠心があるわけでもなく、なにかきっかけがあればすぐに略奪・逃亡をする危うい存在でもあった。 だからこそ、こんなこともかんたんに…。 帝に頼られて、これから天下に号令できる立場になっていくとは言え、まだ、漢朝の臣下であることに変わりはない曹操。 そこへ天文官の報告を受け、部下が曹操に諭す。 ここに、中国大陸の「人生観」「世界観」「王権観」というものが、垣間見えてくるのではないか。 我々は昔から国を興しそして滅び、また国を興す そんな歴史を繰り返してございます 我々はその時代時代に人智を尽くして生きているのでございます しかしそれも大自然の力の前にはなす術を知りませんぬ 黄河の氾濫 イナゴの襲来 大雪 暴風 それらの前に人間の力でなにができるでございましょう いかに人間が進歩しようと 人間は自分の運命はわかりませぬ それを知ってるのは天だけでございましょう 大自然だけでございましょう もし星の運行にそういう兆しがあるなら 心の底にとめておかれませ これを聞いた曹操は、自分の野望の火がくすぶっていることを再確認し、のちのちのことを考えて、ふたたび遷都することを帝に進言するのだった。 自然の猛威が人間などはゴミのようにあしらってしまう、というのは全世界で共通のことだが、ことこの時代の中国大陸でのとめどもない天災は、やはりその土地の人生観や死生観を決定づけるものなのだろう。 特に「天子」と呼ばれる皇帝は、天災すらも「徳の無さ」からくるものだという叱責を受ける立場にあるわけで、イナゴの襲来もまた、漢王室そのものの不徳、徳の失墜の象徴だと捉えられたということなのかもしれない。