やはり故事来歴の古さたるや、日本などは 中国大陸にははるか及ばないわけで、どこか日本の武将たちの伝説も、それを記した伝記も、古くから伝わる中国由来のエピソードをちょうだいしている場合があると思われる。
豪傑・悪来典韋(あくらいてんい)が、曹操を守る戦いの中、多数の矢を全身に受けても倒れず、立ったまま死んでいたという、敵兵を恐れさせたエピソード。
いわゆる「立ち往生」。
おや。
きいたことあるぞ、「立ち往生」。
つまり、これか…。
武蔵坊弁慶は、衣川の館を攻められた時、源義経を守るために戦い、同様に全身に矢を浴びて立ったまま死んだ、という伝説。
豪傑であったという共通点、主君を守るために戦ったという忠誠心、などから、室町時代くらいに書かれた「義経記」の作者がパクっといただいたのではないか…と察することは可能、だw
確かに、インパクトのあるエピソードだ。
そして、曹操の、残酷なれど、的確な作戦。
膨大な人数の兵士たちの食糧不足の不平不満をそらすため、食糧担当者に濡れ衣を着せて殺し、 晒し首にするという、超・責任転嫁策。
ひどい。
でもそれが功を奏するところも、英雄たるゆえんか。
この巻ではまだ劉備は曹操サイドにいるのだが、「呉」がじょじょにその形を為してくる様が見てとれる。
そしてこの第12巻にもありましたのでお送りしておきます。
指先どうなっとんじゃ。