あらゆる本が面白く読める方法―万能の読書術

つに読書家というわけでも活字中毒というわけでもないけれど、死ぬまでにじゃあ、あと何冊本を読めるのか、という恐怖にはウッスラ襲われたりすることってありません?

速読ってぜったい必要だ!とも思う。

でないと間に合わない!

読んでおかないといけない古典、
名前が有名すぎて読んだような気にすらなっているベストセラー、
読んでおいたら賢くなれるかも知れない隠れた名作、
そしてたんじゅんに、読みたい本。

それらを出来れば読んで読み捨て、というわけではなく、しっかり「通過した感」を出していきたい。

マンガについては、入院したときにでもまとめて読むぞと決めているけれど、
入院するくらいだからそんなに旺盛に次から次へ読み継いでいけるものではない気がすごくする。

だから、誰かが今、「読みましょう!」と全巻ドカンと貸してくれたりしない限りは、病室でチマチマと読むことになるだろう。



Amazon小田原


は今やもはや、アマゾンで買うに限ります。

けっこう昔から「どうせ買うんだから」と何度も自分に唱えながらネット通販形式でばんばん買ってしまう傾向にはありましたが、
「送料無料」を掲げてからのAmazon依存は我ながらひどい。


一説によると、
全世界の流通の約4割が、
Amazonによる受注発送で
占められているらしい。



本屋で買っても割引にはならないし、本屋までの交通費を考えるとAmazonはどう考えてもプラスだ。



しかも、店頭で誰も手にとったりしてない感じの新品感がある。



どうして、誰がどこを触ったかわからん手で触った「新古本」を買わなければならないのか。

本屋さんの良きところ、匂い、香り、雰囲気、背表紙のならんだ書肆、もちろん認めもするし好きなんだけれども、
「手に入れる」ということに関して、どうやって本屋がAmazonに勝てるのか。


ょっとして、今まで食べて来たもので自分の体が出来上がっている。のと同じように、
今まで読んで来たもので自分の頭は出来上がっている、と言えるのではないでしょうか。



だから生まれてきてずーっとサプリメントだけで育ったカラダには必ず異変と転調および下降が起こるだろうし、生まれて来てずーっと何も読まずに育ったアタマは「頭がピーマンです」(古い)と言われても仕方ない物に成り下がるのではなかろか。

だからと言って履歴書やプロフィールに『趣味:読書』とヌケヌケと書いていらっしゃるアホヅラのエセ帰国子女みたいな“英語がしゃべれるだけ”の女タレントはたいがいなんだか
ガキの寝言みたいなエッセイや脳ミソがマックシェイクになりそうな恋愛小説しか読んでなかったりして結局おもしろく奥ゆきのある高次の会話はできなかったりするので、なんでも読めばいいというものでもないのかも知れない。

人に本を薦めるなら
“これでこのアタマはできあがってきたのかも”

と言える自信作をできれば紹介したいし(もちろん自分が書いたんじゃないけど)、そのためにもずいぶん過去に読んだ物ならもう一度読み直しておかねばならない。

人に無条件にすすめるのならば古典なんだけど、雰囲気として「夏目漱石の『こころ』はすばらしオスゥ」とエセ京都弁っぽく勧められてもなんだか鼻白むような気が
自分ならするので、評価が1億人×刊行年数みたいな定番中の定番文学みたいなのは避けたいとも思う。

というかもう一度読むのが面倒くさい。

でもまだ読んでいない名作が山ほどあるのも事実だ。


本屋さん

とにかく
「朗読」
「黙読」
などと同じように

『積ん読」でもいいのだ。
それも読書のカタチだと思う。

結論が飛躍したって、別にいいじゃないか。