Gターr ベasス Dラms キーeyズ!?
01. 昨日と今日
02. フクロウの声が聞こえる(新曲)
03. シナモン(都市と家庭)(新曲)
04. ホテルと嵐
05. 大人になれば
06. 涙は透明な血なのか?(サメが来ないうちに)(新曲)
07. 1つの魔法(終わりのない愛しさを与え)
08. それはちょっと
09. ドアをノックするのは誰だ?
10. 流動体について(新曲)
11. さよならなんて云えないよ
12. 強い気持ち・強い愛
13. 超越者たち(新曲)
14. 天使たちのシーン
15. 飛行する君と僕のために(新曲)
16. ラブリー
17. その時、愛(新曲)
<アンコール>
18. シナモン(都市と家庭)~フクロウの声が聞こえる(新曲)
Zepp Diver Cityで、小沢健二のツアー「魔法的」、東京公演を見た。
新曲が7曲!!!
その中の、「このフレーズを、完璧に記憶して…w」と本人がのたまった、新曲、「その時、愛」にきっちり感動。
歌詞の素晴らしさ、その存在感。
PA技術の向上か、自己満足的な音作り皆無な、会場全体を満たす「いい音」な密閉感。
会場と、観客と、演奏と、声が、ピッタリ一体化したような高揚感。
ああ、新曲が7曲!!!
「魔法的」と冠された今回、「魔法」というワードが含まれる楽曲ばかりを並べてあった。
とにかく照明が、ピンク!!!!!!
ずーっとピンク!!!
薄いピンクと、濃いピンク!!!!
サス(スポットライト)すら、ピンクッ!!!!!!
往年の「王子様」ファンを含め、寡作なケンちゃんを一目見ようと争奪戦を繰り広げた、期待に胸を必要以上に膨らませたボーダーたち。
齢を重ねた彼が、いまだ静かながらに放つあの肯定感。
齢を重ねた彼女らが、いまだ憧れ続ける、あの絶対感。
齢を重ねた数々のヒット曲が、時代と記憶を泳ぎきって今に届く、
指先をヒリヒリさせるような緊張感。
この肯定感は、詩的なセンスというよりも、音楽をやるために、歌うために懊悩し迷いこむ歌詞世界から抜け出すための、小沢氏の手段。方法論だと推察される。
おおざっぱに勝手な言い方をさせてもらえれば、小沢健二には、言葉にして、何かを訴えたいとか、話しかけたいとか、世の中を変えたい、とかっていう欲望が、そもそもない。
社会に対する大した不満も、憤懣も、そもそもない。
音楽がやりたい。
でも、歌詞をつけるとなると、自分がどうしても著(あらわ)されてしまうので、何とかヒネり出さないといけない。
洒脱を狙えば何とかなる部分もあるが、テクニックを積んでいくそのやり方は、どうも違う。
社会に対し、言葉で訴える必要性を感じない以上、メロディに乗せる言葉は、もはやゼロから悩まなければならない。
通常、同じような苦しみを持った作詞者は、愛情表現を歌う。
恋愛描写を歌う。
恋慕の情を言葉にして並べる。
英語を交えれば、それなりに見栄えもする。
小沢健二は、それをやっているように見えるが、まったく違うのだ。
彼は、地球外まで飛び上がり、
「大いなる肯定」
「全宇宙規模の愛」
「絶対的なポジティブ」を、
言葉にすることにしたのだ。
だ・か・ら・こ・そ、
大した小沢健二のファンでもない私であっても、「これが、小沢健二の歌ですら、なかったら?」と想像しながら聴くと、その肯定感・力強さ・愛の大きさに、感動が押し寄せてくる。
ほんとうは、小沢健二の歌は、もはや小沢健二が歌う必要すらない。
歌が、歌詞が、言葉の世界が、小沢健二本人を包摂し、彼自身はその高次元なる愛の世界の、カタリベでしかない。
預言者でしかない。
私がギュウギュウの会場で図らずも落涙しそうになった「その時、愛」は、「新曲」というより「神曲」と呼んで差し支えない、全人類的な愛の歌だった。
彼が持つ「魔法」は、「その時、愛」を境に、一層その力を甘く強く、光り輝いていくよう。音源化が待たれる。