特に、幕府後期だとわりと記録が残ってたり、15代慶喜なんかは「ケイキさん」なんて言って、まだ実際に見たことある人も、ご存命だったりするんですね。
日本橋の「日本橋」という揮毫は慶喜なんだそうで、その際に、本人を見た人とか。
昔の、病死率ってすごかったんでしょう、というか医術と呪術がぜんぜん分かれてない。
そりゃそうですよね。
漢方が最先端医学で、後期には蘭学が入ってきてるけど、主な医療行為が「祈祷」っていう時代も長く、しかも身分が高いからよくわからない医療行為は受けさせられない。
そのせいで、効く薬も使えずに死んだ人もいるんでしょう。
障害者が2人もいた、という徳川十五代、それはつまりシステム的に、補弼制度がしっかりしていた証拠でもあった。
やはり注目は五代・綱吉でしょうね。
綱吉の項(p.82〜)だけでも、読む価値あります。