阪急阪神ホテルズから始まった食品偽装、えびが表示通りのえびじゃなかった、ということで、 社長は辞任し、その後いろんな名門ホテルの偽装も発覚していってますが、普通の感覚で言えば 「まぁ、そういうことって、あるだろうな…」というところではないでしょうか。 もし「偽装ではなかった!誤表示にすぎん!」というのが真実で、社長がそれをそう信じるならば、 辞任などせず「偽装だ」という批判とは徹底的に戦えばいいんだし、やっぱり偽装と認めざるを得ないんでしょう。 これを「金儲け主義の汚濁だ」と言い切ることは、かんたんです。 なぜなら、「誤表示なら、高いものを安く書いてしまった」という例も6:4くらいの割あいで存在してもよさそうなものだからです。 実際はそんなことはなく、すべての例において 「安いものを高級品だと書いていた」という 「儲かるベクトル」のみが働いています。 しかし、「儲けるな!」という主旨を論調に込める人がたまにいますが、これには安易に同意できません。 すべての活動についてまで「儲けるな!」を広げると、「不当に高額だ!」という個々の収入に応じた主観に基づいたクレームも 認めなくてはいけなくなり、「赤字で商売することこそが良い商売」であるという、わけのわからなさに陥ってしまいます。 被災地で水を普段の10倍で売る、みたいなことは非道の誹りを免れ得ませんが、それ以外に「儲けるな」を適用してはいけないと思います。 たいてい「安い/高いには理由がある」ということも理解出来ない連中しか、わけのわからないクレームをつけたりはしませんからね。 たとえば、昨今人気のつけ麺。 多くのお店では、並盛り・中盛り・大盛りなど、麺の量に対してすべて同じ料金だったりします。 麺の値段というのはとても安いらしく、もはやどれだけ多くしても人ひとりが食べるていどの量なら「誤差」と言ってもよいくらいの原価なのだそうです。 じゃあお得だから大盛りで…なんて言ってしまうと食べきれないので、普通は「並盛」にします、ラグビー部「じゃないんだから。 調子がよければ「中盛り」。 でも、これはあくまで「サービス」ですからね。 たとえ麺が1人前1円で仕入れられるからと言って、客が「麺が1円なんだから、この魚介スペシャルつけ麺も、原価は150円くらいだろう!890円とはなにごと!150円にしろ!」というのは、スジ違いなわけです。 だって、じゃあ、あなた、150円、いや200円あげるから、そのつけ麺つくれます?? 無理でしょ。 それは、製造・流通など、いろんなコストがかかって、店の家賃とか従業員の人件費とかいろいろあって、 商売として、その値段なんです。 それがわからない人たちは、「安ければ正義・高ければ悪」のように短絡しています。 いつだったか、川越達也シェフの「800円の水」騒ぎもありましたが、しごくまっとうな事を言っておられると感じました。 あんなのは、「年収」という単語にカチンときた単純な連中が、匿名を良い事に罵倒してストレス発散に有名人を利用しただけの、謝罪する必要などミジンコほども ないようなことです。 実際、「800円のミネラルウォーターを飲める身分」の人とそうでない人という区別は厳然とあったりするわけで、 もはや代官山にある「TATSUYA KAWAGOE」に食事に行けるということは水が800円だろうが1000円だろうが、テリーヌが2690円だろうがスープが3500円だろうが、「それはそれ」なのです。 お金の無い人は、わざわざ恥かきに入店したりしない。 それがリテラシーというものでしょう。 サイゼリアでミラノ風ドリアを食べてる連中が、考える必要はない世界のハナシ。 そういう人らが、「水!?水に?800円???」と 群がってくるのがネットの世界。 そういう連中をハジキ飛ばして、店に近寄れなくするための、値段設定が「水800円」なのです。 800円が財布から無くならないことが最高のよろこびだ、と感じる人たちは、800円の水が出て来るお店で供される食事や空間がどのようなものなのか、知ろうともしないし、 なぜかバカにさえしています。 そしてなぜか正しくその延長線上に、「味なんか、わかるわけがない」という真理がドッカと腰を据えて座っています。 そう、どうせ、職人のワザなんて、シロートにはわかるはずがない。 800円の水でございます、と言って水道水を出されても、まぁわかんないと思います。 しかし、職人はこだわる。 音楽家が音のバランスを何デシベルの単位で調節しても、 一般の多くのリスナーは歌詞しか見てませんし聞いてません。 建築家が人間工学に基づいたデザインを取り入れた住宅を作っても、 一般の多くの居住者は「暑い/寒い」しか気にしません。 しかし、その気づかないところに神がやどりオーラを放ち、 いつしか威厳となってステータスを押し上げてゆく。そうやって、今の高級ホテルはのし上がってきたはずなんです。 なので、「バレないからいいだろう」の精神が混じり始めるというのは、 創業者の精神が完全に退廃してしまったということです。 見えないところに差をつけて、サービスその他を血のにじむ努力でがんばる。 これをやらないと、低俗で安い商売と同じに堕してしまうのです。 見えない部分は手を抜くのが当たり前。 だからこそ、見えない部分もいっさい手を抜かない。 これこそが、一流の証です。 高品質の写真、動画素材『シャッターストック』
はたして、食品偽装などとエラそうに言う資格が客にあるかどうか、について
投稿日:2013年11月23日 更新日:
執筆者:管理人