発売になったTRICERATOPSのアルバム
『SONGS FOR THE STARLIGHT』。
シアトリカルなアプローチさえ感じるアルバムの歌詞を読んでいくと、そこには
「現代を冷静に見る心象風景」と、
「男としてのモヤモヤ」と、
「人生の大いなる肯定」が
含まれていました。
そこで、全曲に対し、「ああ、そうですよねえ」という感嘆を簡単に示しつつ、いっしょに楽曲を聴きながら、より歌詞世界を堪能できる工夫として、勝手な解説を書いて見ることにしました。
歌詞は、メロディに乗っているからこそ理解しやすく、心に届くことがあります。賛美歌しかり、般若心経しかり。
そして、メロディにしか乗せられないという制約は、それゆえに意味を倍増させることがあります。
つまりは、なにかの隠喩になっている。
たとえば「二人」という言葉が出てきたとしても、それは1対1の恋愛をはさんだ関係性だけでなく、対人関係すべてに呼応する比喩だったりするのです。
「妙な解釈をするヤツもいるもんだ…」などと嘲笑しながら、軽い気持ちでごらんください。
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2『HOLLYWOOD』
なぜこれが、2曲めなんでしょう。
曲順というのは、精魂こめたアルバムという形態の場合、重要ですからね。なんらかの、意味があるはず。
聴く人なりの、風景がそれぞれ浮かぶ歌詞。
リバティエールというのは、アメリカのビールです。
アンカー リバティ エール |
ジンジャーエールでもいいはずですが、そこは「もう大人だよ」という表現ですね。
誰しもが「自分は主人公である」という気持ちで最初は、生きていたはずなんです。
子供のころに抱く万能感(われこそは王である、に近い誤解)が、世知辛さにまみれて、じょじょに溶けていく。
でも本当は、自分が主人公で、他人は脇役、そのほかがエキストラなはずです。
街はセット。言葉はセリフ。待っているのはハッピーエンド。
ここに、「ハッピーエンド」という隠し言葉を見ることができました。
3曲めにつながります。
誰しも、こどものころに憧れていたものというのは記憶に残っていて、「こうなりたい!」と思ったものがあるはずです。
それを、「こうなりたい!」と思ったそのまま、寸分たがわず「そうなっている」人というのはほとんどいませんよね。
どっかズレてる方向へ、またはぜんぜん違う領域へ(この方が圧倒的多数)。
そして、「憧れていた」ということすらも、口に出さずに生きている。でも、それでいいんですよ。
それが普通です。
ヒーローに憧れた少年は、そのまま架空のヒーローになれたわけではないけれど、なんらかの、誰かのための、ヒーローにはなっているんです。
子供のころ憧れた何かは、何かの比喩でしかなかったのかもしれません。
屈辱と自己嫌悪にまみれてるのに、元気にハツラツと活動を笑顔で続けるっていうのには気力体力がいりますね。
でもそんな明るい人でも、心の髭は伸び、心の傷は癒えず。
夢は消えず、無謀な野望で脳みそが腐敗しかけている人というのは、昼間でも暗闇に住んでいるんです。
笑顔で泣いている。
その理由は、「憧れ方を間違った」というもの。
夢破れた、と言えば簡単ですが、ポスターの中に、いるはずだった自分。
誰にも言ってないけど、ポスターの中に、いるはずだった自分。
「こんなはずじゃなかった」、と、大声で叫んでみたくなる自分。
それを諦めて、心底『どんな世界も受け入れてみるんだ』と思った時、
初めて「Goodbye Hollywood」の連呼がどこからか聞こえてくる。
今生きているこの瞬間、今日が一番、若いんです。
自分の人生で、一番歳をとっているのも今日ですが、明日はさらに、歳をとるんですから、今日が一番若い。
多くの人が、昔に思っていた自分と、今の自分とじゃ、ぜんぜん違う位置に立っていることでしょう。
それを「誤った」「間違った」と断定することは簡単だけれども、そもそも間違っていたのは、最初の設定だったかもしれない。
人生はすぐには終わらないし、どんな世界が待っているかは、自分にはわからない。
誰かに、その希望をおまかせするのはいけない。
自分は、自分の道しか歩けませんから。
そう、自分が進む道の、第一歩は、
「ここにあるのさ」。
これを確認させてくれる、歌です。
3「スターライト スターライト」へ続く。