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ナルニア国物語ー魔女とライオンー

投稿日:2016年3月6日 更新日:

とつぜんだが、『ナルニア国物語』の感想w

映画『ナルニア国物語ー魔女とライオンー』を観た感想。

ハリウッドが作る映画の「壮大な物語」というジャンルには、必ず王国や王や戦士が登場する。『ナルニア国物語ー魔女とライオンー』(原作は英国)の主題もやはり、王国の再建だとか、偉大な王の復権だとか、魔女を討ち果たす正義だとかいう、よく聞くセリフが中心となる。

正統であるとか、
正義であるとか、
復権であるとか、

そういうものって、かなり主観的なものの見方だ。

王が常に正義で、その王を追い払って権力を手にしている側は、常に悪である。
だから悪の側は必ず、オドロオドロしい城に住み、顔中ボコボコの醜い手下がつきまとい、暗く、薄汚い動植物が跋扈する。

これは、自分が正義だと主張する側なら、必ず相手をそういう風に貶めて表現するだろうという典型である。

なぜなら、自分の正当性を認めさせるためには、相手は忌むべき悪魔であり、そのような悪魔を殺し弑逆だろうが壊滅させて討ち果たす時に、いっさいの良心の呵責を挟み込ませないと考えなければ、その虐殺がイメージ悪く映ってしまうからだ。

もう、人間ではなく意思の疎通すらできない人外の生物であるなら、ブチ殺すのになんのためらいも抱かない。

まるで異端を排除する中世ヨーロッパの「魔女狩り」や、いまだ正義の行進の際には言葉として使いたいらしい「十字軍」などと同じである。つまりはキリスト教的な、一神教的な、異端や異教徒は徹底して迫害する、

そしてそれこそが(自分と神との間において)絶対の正義であると信じるという、あまりにも一方的な図式だ。

日本の「花さかじいさん」のように、あきらかな異形である鬼の宴会に招かれて、陽気にコブをとってくれ、そのうえ悪いジジイにはそのコブをプラスしてしまうというような、やたら度量のでかいストーリーは存在し得ない。

ただただ一方的に

「栄えるべきは我れなり。滅びるべきは悪魔なり」

というスタンスである。

だから向こうの事情などいっさい汲まない。知らない。知ろうともしない。

それは『ロードオブザリング』もそうだし、多くの物語に共通する。

魔王であったり、
魔法であったり、
勇者であったり、
剣であったり、
竜であったり、
呪いであったり、
邪悪であったり、

そういう物が出てくる物語はすべて、そういう「一方的な正義」によって貫かれている。
誰が、誰から見て魔王なのか。その技術が、こちらから「“魔”法」に見えるのはなぜなのか。

異端に対するヒドい差別心が隠されていることに気づかず、ただ漫然と、折伏すべき悪だという認識(そんなもの認識とも言えないが)で鑑賞するだけではいけない。

それはそのまま、ロールプレイングゲームにあてはまるのだ。

剣。魔法。勇者。竜。悪魔。

思い出していただきたい。

ただ出会っただけで殺すまでやっつけていいという身勝手な理屈で、何体のモンスターをあなたは倒したのかwww

モンスターという言い方も、とにかくカタチの違う生物(有色人種をも含む)を忌み嫌い排除し差別するという観点の一方的な見方だ。ゲーム内では「経験値をかせぐ」というこれまたビックリ級自己中心的理論によって、自己防衛を遥かに超えた果敢さで剣を振るったか。

大ボスを倒すだの勇者になるだの仲間を増やすだの、すべてこちら側の勝手な都合で物語が成り立っている。

冒険によって開かれて行くストーリーは、もともとそこに住んでいる物たちからすれば迷惑以外の何ものでもないのであって、自分らが知らないだけの土地を「未開の荒野」だとか「未知の楽園」などと失礼な呼び名で攻め込んで行った、スペインやポルトガル、アメリカンインディアンを1億人殺したアメリカ人と同じ理屈だ。やはりここにも、キリスト教的な一方的な正義が現れてくる。

『ナルニア国物語』を観て、もう一点カチンと来たのは、動物たちの扱いである。

百獣の王・ライオンが王であるから(なのにどうして丸裸なんだろう)、他の動物がそれに付き従っているのはわかる。半人半獣の架空生物(ケンタウロスやグリフォン)も、なんとなく見栄えのいい方は正義、薄汚く凶暴な方は悪魔(ミノタウロス・顔がウシ)だったりするという判別はわかる。しかし魔女が乗る戦車を引っ張っているのはなんとシロクマである。それも凶暴そうに咆哮をあげていた。

その区別は、魔女が「氷の魔女」なのだから仕方がないのかもしれない。

しかしながら「正義」側のチーターが、「悪魔」側のホワイトタイガー(白いってだけで悪魔側?)に、お互いの武力の先陣を切って取っ組み合うというのは、観てて気持ちいいもんじゃない。

しょせん畜生、戦うだろう、って言われてるみたいでむしょうに腹が立つ。
まるでクスリかなにかで、狂わされているかのように彼らは戦うのだ。

すべて、王権や領土のために。

そんな、人間が勝手に生み出した利権のために率先して戦う自然動物、というシチュエーションが、キリスト教信者たちの身勝手な考え方から発せられたものかと思うと、楽しめないどころか「両方滅びろ。国破れて山河あり」と思ってしまう。

 

これは別に、映画をクサしているわけではない。

根本的な考え方が、あまりにも往年の欧米的で、これを心底から楽しめるという方々はもう、立派な欧米人であるということで、名誉白人にでも任命してもらって陰で笑われればいい。

奥深い自然の叡智に感謝をしながら、敵味方に分かれるだけでなく戦っていくのが日本人的な、豊かな風土と仏教的思考だ。ただただ征服と王権神授な思考で突き進むイノシシ観客であってはならない。

そしてどんな時も「正義」の側の言説を、安易に信じてはいけないのだ、と思う。

 

 

 

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