福岡伸一先生の文章は、凡百の文筆家の書くものなどとうていおよばない流麗で抽象度が高く示唆に富んだ、素晴らしいものだ。
初めて読む人は必ず
え、これ、科学者の先生が書いてるの!?
と驚くだろう。
しかし読み進めていくにつれ、どの書籍も、その裏打ちされた科学的根拠を、いかに文学的に、比喩的に、現象的に陳列するかに心砕いて、繊細に配列してあるかがだんだんわかってくる。その神経質で細やかな心遣いに、読者はいつしか恍惚として陶酔する。
「わかる」という言葉は、
「分ける」という言葉から分かれた言葉ですからな!
というのは、桂枝雀さん(故人)の、なんらかの「まくら」で聞かれたフレーズ。
分類、することで科学は発達した。
分類、することが科学そのもの、なのかも知れない。
綿密に練られた実験と、精巧な機械のように動く実験者の、世界に貢献する、宇宙を理を読み解く戦い。
すべてのエピソードと、
すべての描写と、
すべての官能が、
「分けてもわからない」という最終フレーズに収斂していく。
なんて意味のわからないタイトルなんだ、と思いながら読み進めたが、すとん、と腑に落ちたわりには、その状態は「よくわからない」という高度で高止まりしている。
名画や芸術に関する名フレーズがちらほら散りばめられるのが福岡先生の傑出したところ。
あの「生物と無生物のあいだ」の衝撃が、違う角度から破裂したような、本書の猛追撃。
科学を志すものは本書にその出鼻を撃たれうなだれ、文学を目指すものは本書にその驕慢をくじかれることだろう。