正直、亡くなってから、「ずっとプリンスを聴いてきた」と胸はって言える機会が増えました。
車で私に向かって「プリンス?気持ち悪いなぁ」と罵倒していた人が、「プリンスR.I.P.」とつぶやいている、醜悪な場面も散見しました。付き合い方を変えますw
Chaos & Disorder
57歳であっけなく世を去った天才。
彼の音楽は、他の音楽とは違いました。
どこが違うのかと言うと、「ミュージシャンの頭の中で鳴っていたであろう音が、全部再現されている」感じがする、というところです。
なぜならばそれは。
彼は若くして、すべての楽器を自分で演奏して録音するというスタイルを取れる人だったのです。
ミュージシャンの中には、いろんな楽器を複数弾きこなす人もいます。
しかし、それは、あくまで「得意ではないが」という範囲内でのこと。
すべてを使いこなし、すべてを自分でアレンジしていく宅録オタク。
プリンスは、自分の脳内で弾ける音楽を、余すところ無く外界に出せる、稀有な人だったのです。
多くのミュージシャンは、「セッションは最高」というように、他のミュージシャンとの交流や、「化学反応」を楽しんでいく傾向にあります。
それは、自分ではできない領域の楽器であることもさることながら、他人の演奏に依存することで、内的世界の反射を抑えている、というか抑えざるを得ないことの、言い訳にもなっていると言えるのではないでしょうか。
しかしプリンスは、絶対に自分の音楽性からは逃げませんでした。
脳内で弾ける世界。言語。イメージする色の世界。
それをすべて自分で具現化し、メンバーに伝える。
伝えられたメンバーは、もうそれこそ、機械のように練習するそうですww
最近の演奏↑
そうして、完璧なサポートを得て、王子はステージで、再び自らの脳内へ飛び込んでいくのです。
演出の方法として、彼はステージでは主にギターを選びました。
素晴らしいギター↑
しかし最後のステージがピアノだったように、その表現方法は無限。
多分プリンスなら、ドラムセットのみでのステージであっても、その世界観を表現することは可能だったかもしれません。
その意味で、彼の脳内世界へのトリップを楽しむがごとく聴ける楽曲たち。
そして彼は、「Emancipation」という哲学も、私たちに教えてくれました。
自らを解放するのは自ら。
ということは、自らを縛っているのは、やはり自分なのです。
彼が、自分の楽曲制作スタイルで自らを解放していった過程で、やはり、そのスタイルがゆえに縛られ、苦悩していたのではないかというところまで想像が及ぶ時、
その死因とも言われる「鎮静剤であるフェンタニルの過剰摂取」が、彼にとっての安定をもたらす唯一のモノだったのならば、その悲哀は、また楽曲に新たな色を添えるのではないかと思えるのです。
プリンス。