どう考えても有村架純が可愛すぎるので、うまく情報処理ができない。
実際にこんな子がいたら(原作の表紙の人であっても)、親や担任は違う道を進める義務というものが発生するでしょう(実際に有村さんはそうだったんだろうし)。
でもこれって、「高校の授業なんてあんまり役に立たないよ?」って言うことですよねw?
で、才能のないスポーツバカ親の元に生まれると、余計な不幸を背負わされることになるということですよね?
自分が無理だったことを子に背負わせる親ほど、鬱陶しく残酷で身勝手なものはないと思います。
破れた自分の夢を、無自覚に子供に押し付けて、子供自身が自分の夢を描くスキさえ与えない。
いやいや、才能って、遺伝するはずなんですからw
原作を読んでいない状態なのでなんとも言いようがないところですが、底辺から努力でのし上がる、って言う感じ、これっていわゆる「ヤンキーメソッド」。
学校の試験は、すべて答えがあることを一生懸命覚える作業。
最近は、その場で「考える」と言うことを評価の基準にする、と言う向きもあるようですが、受験勉強とは基本的にはみんな、同じことをある一点(受験日)に向けて、記憶量を頂点に持っていく作業。
だから、やり方を効率よくやっていけば、才能とか関係なく、ある一定の成績上昇はあり得る。
このお母さんは偉かった。
夜中の佐川急便の構内で働いてでも、子供のために尽くした。
良い大学を出れば、人生がある地点から逆転し始めることに気づいていた。
というか吉田羊さんが素晴らしい。
こういうお話の頂点は、「ヤンキーがてっぺん目指すぜ!」という、天下取ったる的な擬似成功体験を植えつけてしまうとも思います。
劇中でも出てきましたが「やればできる」という言葉。
これを、事あるごとに脳内で繰り返してごまかしてきた人間が、何千万人いる事か。
「あなたはやればできる」。
どこかで借りてきたこの常套句が、子供時代を忘れた親から発せられたとき、その傷つく経路が自覚できないまま、その裏の意味を浮き上がらせます。
「やったら、できないかもしれない」
それはついに
「やりさえしなければ、できるかどうかはわからない」
に到達。
その手前で「やってしまった、できてしまった」子が、主人公なんですね。
その足元には無数の
「やらなかった」
「やったけどできなかった」
が死屍累々。
でも言えるのは、「やらなかったのにできた」というのは存在しないという事。
単純作業とも言える記憶合戦たる受験勉強は、何もしないのに上昇はしていかない。
誰だって、「やらないと上がらない」。
その意味では、恐ろしく平等なシステムです。
「学歴社会」は、実は平等な、素晴らしい制度なんですね。
そしてやっぱり、「歴史マンガ」の威力はすさまじいww
これ、早く読まないとなぁ…。
Amazonプライムに、新しく出現してました。