本木雅弘さんの昭和天皇、素晴らしいですね。
終戦を迎え、玉音放送に当たって、宮城(みやぎじゃないですよ)を舞台に繰り広げられていた、まさに「ギリギリの攻防」。
神州不滅の思想はもはや狂気とも言えるほどに煮詰まってしまっていて、陸軍の一部がもう戻れないところまで切羽詰まった感情を爆発させるに至る時期。
しかし、8月6日に原爆を落とされてるのに、まだ「では会議を〜」「調整を〜」なんてやってたんですね。
で、9日に2発目を落とされてします。
この2発目は、どうしても防げたんじゃないかと思えてしまいます。
陸軍を押さえていた阿南陸相は、けっきょく自害します。
でも、ここなんですよね、日本の厄介なところは。
ハラキリ、カミカゼなんて恐れられる部分ではあるけれど、強硬に「戦争続行」「徹底抗戦」なんて言ってる陸軍の将校たちも、結局は「自分さえ命を捨てれば良い」という「デッドライン」があるだけ。
責任の取り方が「いきなり命」なんです。
これって厄介で、周りも「死んだから、もう許してあげよう、水に流そう」ってなってしまって、「失敗に関するデータ」が全然残らない。
そういう弊害を生んでしまっている。
けっきょく、クーデターの首謀者となっていた将校たちも皇居の庭園であっさり自殺。
昭和天皇の「御聖断」による終戦は成り、国体護持にまなじり決していた人たちも、なんとかおさまる。
やはりあの戦争の問題(敗因の多く)は、「陸主海従だ!」「海主陸従だ!」と言い合っていた、軍隊にあったのでしょうね。
そしてその思想は、明治維新から受け継がれている「薩・長」の主張と重なる。
そう思うと、今の(2017年)の政治の中心は、またもや「長州閥」。
そのあたり、考えていく必要が、われわれ国民にもありそうです。
Huluで観ました。