やたら変わったカブトをかぶった武将にはやはり少し気をとられる。 この巻でいうと、やはり太史慈。 孫策の活躍をめぐって、めまぐるしく状況が変わる11巻だが、特筆すべきエピソードとして、やはり太史慈は目立つ存在なのだろう。 のちに曹操からも「我に仕えよ」と誘いを受けるほどの猛将。 この横山三国志は、たまに、「え?誰?」というような人が急に現れて、物語や歴史ぜんたいを見越したような態度をとることがある気がする。 才知に優れるとはいえこの地方の官に過ぎない仲翔がそのひとり。 後には諸葛亮との論戦に破れたりもするのだが、この時点ではまさに「え?誰?急に、誰?」としか言いようがないw 急になに?その感じ。 なぜかこの人、字(あざな)の仲翔として登場するのだが、普通は虞翻(ぐほん)と呼ばれているようだ。 今回も見れる!呂布の「指先どうなっとんじゃ」 今回の見所は、誤植なのかわざとなのかわけがわからなくなってるのか、「桃園の誓い」を立てた三人の、言葉遣いがおかしくなっている瞬間。 この三傑、死ぬ時は同じ年同じ月と決めている盟約があるとは言え、主従関係にあるのは明白。 この時点ではまだ、関羽も張飛も、玄徳のことを「玄徳殿」と呼んでいるが、主は劉備玄徳だ。 兄貴分として、おかしな言葉遣いをする一瞬を、ごらんください。 不自然w ところで、当然ながら戦乱を描き続ける三国志、戦法として、「山間の狭隘路に誘い込んで死滅させる」がこの先も、何十回となく出てくる。 いい加減に、それに引っかからないような常識は生まれないのか、とうんざりする。 11巻ていどでうんざりしていてはいけないのだが、 追いかける ⬇ 深追いする ⬇ 山あいにさしかかる ⬇ しまった囲まれたと気づく ⬇ 時すでにおそし ⬇ 山の上から巨石が降って来る ⬇ 圧死➡被害甚大 こればっかり。 もう、こればっかり、とうんざりしてくる。 そして、その落とした巨石と死体の山でふさがれた岨道(そばみち)は、誰かがまた復旧させたりするのかな、それは地元の農民の苦役なのかな、などと考えると、西暦100年代の戦い方の単純さに、 目頭がなぜか熱くなる。
三国志/第十一巻「ほぼ全滅するから対処法が伝承されないんだろうか…?」
投稿日:2013年8月11日 更新日:
執筆者:管理人