太平洋戦争に敗れ、貧困と無秩序の中にいた日本人は、焼け跡から立ち上がり(理想の時代)、高度経済成長の下で所得倍増を追い(夢の時代)、バブル崩壊まで欲望のままに生き(虚構の時代)、そして、昭和が去ると共に、その勢いを止めた。その片隅に、何にも頼ることなく、一人で飢えや汚辱と闘い、世間のまなざしに抗い続けた“無頼の徒”がいた。やがて男は一家を構え、はみだし者たちを束ねて、命懸けの裏社会を生き抜いていく……。過ぎ去った無頼の日々が今、蘇える。正義を語るな、無頼を生きろ!
知ってる人ならすぐに「憚りながら」だ…、と気づく。
後藤忠政氏の、激動の極道時代を描いている。
「昭和史」という意味では敗戦直後から、その風俗などを描いている娯楽作品ではあるが、「ヤクザ礼賛」と言われても仕方がないところは、やはりある。
ヤクザの勝手な論理。
「男が男に惚れる」的なやつ。
男に惚れて、やってることが老人を騙す詐欺。それがヤクザだ。
後藤忠政氏の自叙伝、映画化!!!とは、宣伝文句には書かれていない。
エンドロールには後藤組のごの字もない。
井筒監督、8年ぶりの新作!!!
と書いてあるだけ。
ヤクザを描いた作品は新作の中に他にもあるだけに、なぜ不自然に、後藤組とのつながりを否定するかのように隠してるんだろう。
誰が見ても、「憚りながら」だ…、と気づく。
反社との繋がり、なんて、ないから映画にできるんじゃないのか。
あからさまでありながら、不自然にそのモチーフを避けているように見えるのは、実際に反社との繋がりがあるからじゃないのか…と、勘繰ってしまいたくなる。
作中は、「もう、別にこれでいいだろう」っていう場面転換のフェードアウトが多用されており、逆に潔さがあって見やすく感じてくる。
そしてセリフ回しが独特。
独特なセリフの応酬でふっと場面転換する。
自然と言えば自然だが、普通の大袈裟なヤクザ映画なら採用しないだろうな、という違和感が、作風になっている。
もはや通用しない勝手なヤクザの「男の美学」に痺れる人にとっては面白味があり、昭和を振り返って「今より昔がよかった」と愚痴を生甲斐にできる人にとっては面白味があるが、一般人から奪い取った金で生きているくせに義理が大事だとか言い放つ連中に嫌悪感を抱く人にとっては、見ていてしんどい映画かも知れない。
それにしてもキャスト(とその演技)が素晴らしい。