またもやマネージャーØ氏の超のつくご厚意で、関係者席に入れていただきました。
初の、ダイバーシティでのライブ。
ダイバーシティが出来てからというもの、少しデックの方(フジテレビの向こう側)は人が少なくなっている様子。 そうでもないのかな。たまたまだったか。
つまりそのぶん、ダイバーシティに集まっている。
そうは小耳に挟んでいたけれど、マジですごい人。
東京っぽいチンピラが集まる感じのイベントやってて、 いい調子にズに乗った若者が「イカシテンゼオレタタチ」と書いたTシャツを着て(いるかのような顔で)館内を歩いている。
男は浅黒くみな少しヒゲを生やしていて、女性はみなドイツやウクライナの娼婦のような格好だ。
なんなんだ。
文化とはそういうものか。
そんな描写はとりあえずどうでもいいですね。
http://music.emtg.jp/liveReport/20130802480b06b55
なんだか新しい会場だからか、客席の熱気が開演前からすごい。
ぎゃあぎゃあ騒ぐ訳でも、トライセラコールが起こるわけでもないけれど、なんだか「期待」と書かれたTシャツをみな着ているかのように(こればっか)、ウキウキワクワクしている。
2階の関係者席(最前列に座らせていただいたのですよ)からみると…お客さんの「ツムジ」が笑っているのだ。
人間、なにか極度に楽しみなことがあると「ツムジ」が笑うんだよ。
とりあえず覚えておいた方がいい。
残念なのは自分で見れないことと、誰かに見て見てとお願いしても怪訝な顔をされることだ。
とりあえず忘れておいた方がいい。
オープニングは『Star Jet』。
初期の曲は昔ながらのファンの人にとって、完全に青春がフラッシュバックする(要するにキュンとくる)スイッチになる。
確かに現在、歌詞世界と音像のコンビネーションが結ぶ現実は 「当時」とは変わっているけれど、人間には思い出や追憶を増幅させるアンプリファーが心の真ん中チョイ奥くらいに設置されている。
だからそれなりの信号を情熱もって送ってもらえれば、 きちんと「当時」の感情を揺り起こすことが出来るものだ。 そういう意図があってかあらずか、心底トライセラトップスを追いかけ続けているひとの心を、しょっぱなにグワシとつかむ作戦は、完璧に成功していた様子。
個人的に、特筆すべきは2点。
ひとつめは、『LOONEY’S ANSEM』。
リフ、 そのポジションで弾いてんのか!という驚き。
トライセラトップスの楽曲は「半音下げ」で演奏されることが多いと言われる。
自宅で耳コピしてみてなんだかしっくり来ないと感じたら、たぶんそれが原因だろう。
E、とかF、あたりのコードの曲だと、半音下げチューニングをしていないと普通のギターではもう、弾くとこなくなる。
耳コピだと高い方(ネックの、ボディに近い方)で弾いたり出来るのだけれども、やはり本家はそのまま半音下げなのだろうか、1〜2フレットあたりで弾いているように見えた。
誰だったか、ミックロンソンの映像を見て、「ぬおお、『ジギースターダスト』のイントロ、そんなポジションで弾いてたのか!」とひっくり返るほど驚いたとインタビューで答えていたことがあって(吉井和哉 さんだったかもしれない)、その類いの驚き。
そして2つ目。
観ました?
当日会場にいたみなさま。
『TATOO』が始まって、イントロ弾いたあと、 なにかギターの音程的に気になったんでしょうかね、Aメロ歌い出しではギターが止み、ベースとドラムだけになりながら 「なにが嫌ってあのイタリアンもあのタイ料理も〜」 という歌詞になる時に和田氏、これを歌いながら、ギターの6弦あたりをチューニングしてましたね。
チューニングするということは足下にあるであろうチューニングメーターの針(またはシグナル)を見てるってことだし、それをしながらリズムを外さず歌詞を 間違えず、しかも多くの人にそれを気づかせずにノリは壊さず調弦は正確にもうじき始まる「あ〜ここにはない」の歌詞までに終えなきゃならない。
そんな瞬時の判断をその場でやってのけた 技術・技術・度胸・技術。
驚嘆しました。
しかしまぁ、MCのオモシロいこと。
変な話、色んなライブを観に行くとMC部分のくだらなさ、 オモシロくなさ、底の浅さ、みたいなのが見えて辟易することが正直、多いです。
いえ、もちろんファンの人は喜んでいるし会場はウケてるし、誰もなにも思わないかもしれないけど 「もうちょっとなんとかならないのか」と思ったりすること、他のアーティストさんだと、よくあります。
申し訳ないけれどこれは自分の病気のようです、 アラ探しするほどではないけれど。
「いちおう、ネタ繰ってぐらい来いよ」的な。
俺しゃべんの得意じゃないんだよな、 ってことを言いたいんだろうけどそんなの知らん、とまで思うこともあります。
じゃあ黙って演奏だけしてろバカ、とまでは思いませんけどね。
トライセラトップスのみなさんのMCは、そういう観点から考察するに、本当に、ちゃんと、オモシロいです。
どこへ出しても恥ずかしくない。
どこへ出すんだ、という問題は差し置いても。
みなさんと同様、色んなミュージシャンのライブを 観て来てますが、たいていは年取ると、ほっといても饒舌になっていきますね。
あんなにぶっきらぼうだったのに、 たいていはおっさんになるとしゃべりたくなるようです。
これはなにも、ミュージシャンに限ったことではないかも知れません。
おっさんになると、放っておいても語彙は多少増えるし、 若い時に特有の「トガッた感じ」が無くなってくるから、 変な言い方をすれば「説明したくな」ってくるようなのです。
とうぜん、物事の意味が理解出来てくるから説明が出来る。
おっさんになって、周囲にジイさんしかいないというような 環境でない限り、年かさの低い人たちになにか少しだけ教えてあげる機会、みたいなのもちょこちょこ出来てきて、 教えてあげるからには分かりやすく説明してあげたいというサービス精神から、ますます饒舌になる。
そして一流の人はみな、「独特の語感」を持っている様子です。
理路整然としている必要はかならずしもないんですね。
情熱を発端として話し始めているから、尻切れとんぼでも中途半端でもいい。
言いたいことが伝わればいい。
いや、伝わらなくてもいい。
その人の中に、想いがあふれていることさえ感じ取れればそれでいい。
その点、3人さんは程よくこなれて、まるで緊張していないかのように見える。
それは観客をノセるのが上手く、良いペースに引き込むことに成功しているという証拠でしょう。
どう考えてもドラム吉田氏がそれを支えている。
http://music.emtg.jp/liveReport/20130802480b06b55
やはりMC部分においては、ドラム担当の方の度胸と包容力が、 なにより重要になってくると、バンドを見ていつも思います。
変な言い方だけど、TRICERATOPSは「成熟間違いナシ」なバンドなんですよね。
その志向というか方向性も、円熟に向かうのに向いている(変な言い方)。
今年はKis-my-ft2への歌詞提供もあったりして話題も豊富でしたね。
10年、15年を経て、さらに10年、15年、安心して見られるバンド。
終演後、カンパイにだけ参加させてもらいましたがメンバー全員がすがすがしく、それでいてなぜか「もっとやりたい」という意気込みすら感じられる余裕を持ってらっしゃいました。
マネージャーØ氏から 「行き詰まったアーティストをここへ連れて来たりしたんですよ…」と、その場所そのもので食事しながら語られたマル秘エピソードを思い出しながら、夜の潮風公園を歩いたりしました。
技術と熱意と誠意と旨味と歴史と音楽への敬意が詰まっているバンド、トライセラトップス。