平和を唱えるのはバカの一つ覚えでいいのかもしれない。九条を世界遺産に認定してはどうか。(p.63)
知恵のある国民でなければこの姿勢は貫き通せなかったろう。憲法九条を今まで維持してこれたのは日本人が優れていたから こそである。愚かな民族であったらとっくに憲法九条は改正されているであろう。(p.136~p.137)
まるで朝日新聞の社説か社民党の機関紙でも読んでいるかのような、暗鬱な気持ちになります。
たんなる、幼稚で偏った平和論。
前後で、論理も矛盾しています。
政治家やメディアを非難するときには「~べきである」と、理想を掲げて普遍性を訴えたりして断定的だが一方で 「私は思う」と断る文末が多いのは「逃げ」ととられても仕方がないでしょうね。
四流の大学生とか高校生に「平和と民主主義について書け」とレポートを書かせて書かれたようなシロモノで、 熱烈なファンが内容を妄信するのはなんら構わないけれど、日本のためを思って書かれたのだとしたら、中国か韓国か 北朝鮮のためにしかならないから、と注意を促したい。
2004年くらいからの雑誌連載をまとめたものだそうなので、 ニュース的に今読むと古さを感じざるを得ないのは仕方がないとしても、 平和憲法や戦争や靖国参拝などに対する意見は、コレが本気なのだとしたら、時代を超えて普遍的に、ダメ。
たとえば今からこの内容を10年後に読んでも確実に「それは違います」と断定できる。
絶滅危惧種とさえ言われるような平和憲法絶対死守のおばさん方でも言わないような九条礼賛のセリフは、ハッキリ言って情けない。
ナイーブな詩人の「言の葉」なら構わないが、現代の感覚で鋭く社会をえぐる気鋭のスターとしては、安易に過ぎる。
平和憲法を「運動」としているプロ市民か、中国韓国の「反日活動家」しか共感できないレベルのヒドさです。
もはや『意見の食い違い』ではなく、『知識の不足』と言うほかありません。
思わず多くの人が「尊敬するあの太田氏が…」と嘆息するであろうレベルの稚拙さなのですけれど、こういう意見ももちろん、あってもいいんです。
ポイントはそこですね。
逆に、これを万人の前で晒す勇気はなにか、意図を感じないでもない。
いや、どこかに「これらの意見は、こう読め」というトリックが仕掛けられているのかも知れないですけどね。
もちろん、現時点(2013年)の氏の考察は知らないのでわかりませんが、こういう本を出させてニヤニヤしているオッサンどもに利用されているだけなのではないかと 勘ぐりたくなるほどの内容であることは確かなので、妙な広告塔としての利用をこれ以上されなければいいなぁ、と余計な心配をしてしまいます。
さて、そんな、この本でものすごいのは、たったひとつ。
p.239~p.242の、「破壊者」という項。
この本は、この項だけで価値があります。
古本屋で立ち読み、どころか、このページだけ破って持ち歩いてもいいくらいだ。
2006年7月に書かれたものらしいが、当時これをテレビブロスで読んだ芸人のうち、何人が遥か後方へ吹っ飛ばされたであろうか。
ここに書かれたような逆説と矛盾をいっさい教えないから、「お笑いスクールは」なんの意味もないどころか害悪ですらあるのだ、と主張したい。
みごとな考察と文章力。