新書が¥799。
Kindle版が、¥740。
なかなか迷わせる価格設定ですねw
仏教説話から拾う、「セクシィな話」。
おもしろいです。
インドで発祥した仏教、中国を経て日本に。
釈尊の時代、インドはもう
上半身裸みたいな風俗でしょう。
布一枚の熱帯地域。
そこで、厳戒を敷いては難しい。
悟りを開いた、つまりそれをすべて理論で説明できる仏陀と違い、
迷える弟子たちは、あの手この手で
「これはいいですよね?」
と聞きに来るwwww
そのくだり、ほんと人間味があっておもしろい。
そして、
いつしかインドが、
あの「仏教が生まれたインド」
が、ヒンドゥーの国に戻っているというのも興味深い。
2500年ほど前に現れた、
異様な天才・ゴータマは、論理ですべてを解釈し、見事に解脱への道を示していったけれど、やはり迷える衆生は、輪廻の中で悩み苦しみ楽しみながらすけべ〜に、ごちゃごちゃと生きていく。
ぜんぜん詳しくないですが、
仏教は「教ではなく学」という印象があります。
いえ、「仏教学」ですらなく、「仏学」。
想像ですが仏陀は、「すべてに、つながりを見出した」のではないかと思います。
すべてにつながりを見出す、ということは、すべてのものを同等にとらえる抽象性を得たということ。
すべてのものって、もうほんとにすべてのもの、です。
それって、「宇宙と一体になる」というのと同じ意味だと思うのです。
わかりにくいのは承知ですw
私もあまりわかってません。
想像してるだけです。
ただ、想像がたまにうまくいった時、なにかが突き抜けるような感覚に似た感覚があります。
そういう論理の果ての抽象性を目指しながら、
キャラクター豊かな神々が営むさまざまなエロを抱える仏教という世界観。
そしてなにより、
明治を待たずとも、
江戸の坊さんたちの、
奔放なこと!
その柔軟な換骨奪胎っぷりは、
お釈迦様が聞いたらもうほんと、
ガンジーより距離とって助走つけて殴ってくるくらい、もうめちゃくちゃです。
今や、
坊さんがBarを
やってるくらいですから。
日本の仏教に、戒など…。
お坊様が出ているテレビ番組とかあるし、お葬式や法事なんかだと住職からの法話があったりしますが、
あの方たちは「職業僧侶」です。
「ビジネス坊主」ですね。
厳しく修行されて、悟りを感じるために自分を律している人は、ごくわずか。
ほとんどが、
金のため、
人生を楽しむため、
快楽のために僧侶をやっている。
破戒に破戒を重ねて見て見ぬ振りをしているのが、現代の仏教というものです。
お釈迦様とは無縁、と言えば罪はなくなるんでしょうけど。
それのなにが悪いんだ、と言われたら、守るべきは個人の人権であって。
今の日本に、そんな非人道的な(つまり求道的な)生活を強いられる存在は、逆に認める方が難しいでしょう。
釈迦の生きていた時代に「人権など」は、ありませんでしたし。
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