タモリの本当の“凄さ”って何だろう。なぜ三十年以上も毎日生放送の司会を超然と続けられたのか。サングラスの奥に隠された孤独や絶望とは――。デビュー作でその愛を告白した小説家が、秘蔵の「タモリうんちく」を駆使して、この男の狂気と神髄に迫る。出生や私生活にまつわる伝説、私的「笑っていいとも!」名場面、ビートたけしや明石家さんまとの比較等、読めばあなたの“タモリ観”が一変する、革命的芸人論!
全然「論」ではなかった。
時代とともにある芸人・タレントを評するには、やはりその時代性が必ず伴う。
「観ている側」の思い入れが、そこには抜き難く作用する。
つまりどこまで行っても「論」ではなく「感想」なのだ。
そして嫌気が差す。
また、「あの文化系の論者か…」と。
小沢健二、電気グルーヴ、ロッキング・オン…
東京中心の、上から目線の「カルチャー総括」。
時代の全てが東京にあったと勘違いした人らの、小沢健二礼讃文。
またうんざりさせられたけれど、それもまた、文化の一面、なのだろう。
この著書は2013年に上梓されたものなので、刊行時点では著者も読者も、2014年(平成26年)の「笑っていいとも!」終了を知らない。
その後ならば、もっと総括的な、タモリ感になっただろう。
文句を言ってるわけではなくて、タモリを語るのに、「はじめに」でそこまで「笑いに関して語るのは無粋だが」という言い訳をしなければならないことが、すでに的外れなのだと感じてしまったのだ。
タモリを語るのに、お笑い方面から「笑い」として進めようとするから、余計な「たけし映画のオマージュ」などに脱線しなければならなくなる。
「いいとも論」ならよかったのに。タモリ論、では全然ない。